豊八幡神社例大祭とよはちまんじんじゃれいたいさい(小嶺編)

  小嶺では第二次世界大戦後に「子の神(子の権現)」を部落で祀るようになり、当社は「宗円寺(日蓮宗)」境内に祀られている。宗円寺の境内に移されたのは明治期で、それ以前は小嶺の子の方向(北)にあった。子の神は別名「大黒天」ともいい、祭神は「大黒主命」で、御神体はネズミである。子の神は足の神様でもあり、多くのワラジが奉納されていた。
  祭日は7月15日で、子年の祭りは最大に行われていた。明治の始め頃に平塚柳町の大地主が、長男が生まれた時に白木の神輿を作った。これを子の神神社に寄付し、子供神輿として用いた。

  小嶺は宮下と同じく元禄期(17世紀末〜18世紀初)に豊田本郷村より分村した村で、周囲に比べて小高い地形の土地であったので「小嶺」の名が付けられたといわれている。小嶺は宗円寺の南側から開けてきたともいわれ、小嶺に居住する家々の中では飯山・鈴野・加藤・岸・富田・福井の各姓が古い家系である。
  小嶺では部落会が自治会と名称を統一したのは昭和49年(1974年)頃である。


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