藤塚
神社の紹介
宝暦4年(1754年)に突如富士山の一隅が噴火して灰が降ったとき、これを集めて富士塚を作りその頂上に「浅間社」を勧請して祀っていた。大東亜戦争中にこの地に飛行場を作ったところ、敵の目標になることから塚の頭が削られたが、石祠2基程は現在も残されている。「浅間神社」は以前は塚(藤塚)の上に祠があっただけで、周辺は畑ばかりで祭りはなかった。
例大祭
この地域は上依知の下町自治会に属していたが、昭和39年に現在の自治会として分離発足し、敬老の日を期日として親睦を図るため浅間神社の祭礼行事として始めた。
大祭前日の夕方に幟立てを行い、大祭当日の8時頃から神社の清掃や祭壇の準備、神輿・囃子の屋台(トラック)の準備を行う。余興の会場は少し離れた内陸工業団地会館隣の公園で、ここでは舞台掛けや受付等のテントの設営を行う。
9時になると自治会長・地元議員・神社総代ほか関係者が社前に列席し式が始まり、社前の祭壇の灯明を点け宝泉寺住職が祈祷(読経)を行う。祈祷の後は神輿のお祓いとして神輿の前で読経し、終了後は社前に上げた御神酒を配って清めをする。
19時に余興が始まり、余興の出演者は有志中心で踊りやカラオケなどが行われる。以前は神社近くの空き地を借用することができたが、近年になり住宅が多くなったため現在の公園になった。大型トラックの貨物台を舞台に利用するなどして行ったこともあるという。また、露天商は余興会場に4〜5件出店する。