宮山みややま

神社の紹介

  寒川神社の末社である「宮山神社」は、古くよりこの宮山各地区に鎮座していた七社の小祠を現在の社地に社殿を建て合祀している。
  明治41年12月に「琴平社」・「八劍社」・「雷社」・「祢岐志社」・「若宮八幡社」・の四社が合祀され、大正3年9月に「稲荷社」が合祀された。大正12年の関東大震災により社殿が半倒壊するなどの被害を蒙ったが、昭和5年に国費を以って復旧した。昭和44年9月には「三峰社」が合祀された。

合祀神社
社名祭神旧鎮座地合祀時期
琴平社ことひらしゃ大物主神おおものぬしのかみ神戸明治41年12月
八劍社やつるぎしゃ須佐之男神すさのおのかみ八劍
雷社いかづちしゃ健御雷之男神たけみかづちのおのかみ
若宮八幡社わかみやはちまんしゃ大雀命おおささぎのみこと
祢岐志ねぎししゃ聖神ひじりのかみ根岸
稲荷社いなりしゃ宇迦之御魂命うかのみたまのみこと中洲大正3年9月
三峰社みつみねしゃ伊邪那岐命いざなぎのみこと上合昭和44年9月
伊邪那美命いざなみのみこと

  宮山地区には「寒川神社総代文書」と「宮山町総代文書」の二種が残されていて、寒川神社では明治44年と昭和6年(1931年)以降の資料において9月例大祭に神楽や芝居が行われたことが見え、宮山神社では昭和に数度の芝居があったことが見える。
  宮山神社での神楽や芝居は恒例ではなくむしろ例外的に行われていたらしく、寒川神社では大正年間と昭和初頭の芝居についての資料がないたために、いつ頃から上演が定着したのかが分らない。ただし、明治44年例大祭に神楽(芝居)を行った際には、小動から「舞台諸式」を、一之宮から引幕、小谷から木戸を借り受けており、寒川神社には神楽や芝居を上演するための準備がなかったらしい。しかし、昭和22年(1947年)5月5日には「舞台補修完成祝」として芝居が行われていることから、昭和に入って盛んになったと思われる。

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鳥居・燈籠
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社殿神社由緒

太鼓

  

神輿

  


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