旭町
熊野神社
「熊野神社」は伝承によると既に鎌倉時代の創建で、三井長吏大僧正行尊なる者がこの地へ勤請して祀ったと伝えられる。寛元元年(1243年)には相模国愛甲荘が熊野山領となり、紀州(和歌山県)の熊野山との関係がこの熊野権現社ならびに熊野寺創始伝承となっている。これにより、当地区を始め南毛利地区愛甲や依知地区猿ヶ島等にも熊野神社が祀られたと考えられる。室町時代の文明18年(1486年)の廻国雑記には熊野堂が見え、修験本山派の寺院として存在していたが、この熊野山関係の社寺の存在はこの付近に一集落が形成されたことを知る資料で、近世には下厚木村の総鎮守として祭祀されてきた。
近世初期の厚木郷は上・中・下の三集落により郷村が形成されており、上分は古代の社「舟喜田社」、下分は「熊野権現」、そして中分は天王森と呼ばれた社地に祀られた「牛頭天王社」で、この三部落の鎮守社は既に室町期に祀られていたと見ることができる。三神社は各部落の鎮守社であるが、厚木郷の総鎮守の神社は船喜田明神社であったことは天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』の厚木村の条に記述されている。『風土記稿』には「熊野堂」持ちの「熊野三社」を厚木村の鎮守の一つとしており、「古は村の総鎮守なりと云」、末社に「稲荷社」が記載されている。
江戸時代に末社として「稲荷社」が現在地より300m程はなれた相模川近くに祀られていたが、水流の変化により元和元年(1615年)に境内地へ移されたと伝えられている。また、江戸末期頃迄は当神社の別当寺院として旧熊野堂(或いは熊野寺と称す)の支配にあったが、明治初年の神仏分離によって廃止された。現在熊野神社北側に残る墓石には、鎌倉時代から連綿と続く僧名世代と没年月日が刻まれている。明治6年(1873年)には「舟喜田社」と共に「牛頭天王社」に合祀され「厚木神社」となったが、明治中期頃に旭町の地に疫病が流行した時に当社の氏子一同が協議して再び今の社地に勧請した。明治末頃迄は境内に鐘堂があり、天明2年(1782年)に再鋳した胴鐘(長さ:竜頭より下3尺5寸、口径:2尺3寸)があった。鐘に刻まれた明治12(1879年)年6月付けの銘文にはこの梵鐘の所在は記されていなかった。神社境内は明治や大正年代には広大にしてうっそうと大木が繁っており「熊野森」と呼ばれていたが、大正末年に神木の銀杏を一本残して全く伐採されてしまった。なお、この銀杏は推定樹齢500年で厚木市の天然記念物に指定されている。熊野森は江戸末期に渡辺崋山ら威圧氏の時描いた「厚木六勝(あつぎろくしょう)」の1つとして描かれており、神社入口左側には橿家甘人(かしやのあまびと)建立の「熊林暁鴉(ゆうりんぎょうあ)」の碑もある。
社地の入り口には昭和34年(1959年)に氏子中に奉納されたコンクリート製の鳥居(高さ:約3m、間口:約2.8m)が1基あり、鳥居の北側に当所井村政治氏が昭和4年(1929)9月に奉納した銘文「熊野神社」と刻まれた自然石の社号標(高さ:約1.7m)が1基ある。昭和51年7月には手水舎が氏子中で新築完成され、木造切妻2柱吹抜で屋根は銅板葺きである。これに納められた石造りの水鉢(高さ:約68cm、長さ:約1m、奥行き:約45cm)は昭和40年(1965年)10月に氏子中に奉納され、この手水舎近くには石造りの3猿(見ざる云わざる聞かざる)が刻まれた石像1個が古くからある。また、御親木(大銀杏)の近くには昭和42年(1967年)に再建された木造流れ造りの向拝殿付社殿(間口2間、奥行2間)があり、屋根は昭和50年(1975年)の夏に銅板葺に改修された。この内殿には御神体の丸鏡が安置されている。
熊野神社 | 社号標 |
鳥居 | 手水舎 |
社殿 | 境内 |
囃子
神輿
例大祭
『風土記稿』によると熊野三社の例祭日は旧暦の9月9日であったが、現在は9月9日の本祭に近い土・日曜日に行われる。
半月位前に寄り合い、役員の分担や催し物等を決める。準備は10日前から始め、一週間前には「熊野神社例祭」と「カラオケ大会ショー」、「出演者募集」のチラシを町内へ貼る。舞台掛けは大祭前日の8時より行い、供物、ゴック(小さな餅)を白紙に包む作業等を行う。この餅は神前に拝礼、お賽銭をあげた人や子供達に配る。
大祭当日は9時30分より神主(毛利氏)により神事が執り行われる。19時よりカラオケ大会、祭典委員長挨拶、宮川たかしショーが行われる。21時30分に祭典副委員長の閉会の挨拶が行われる。幟は2流あるが、幟立てが大変なので近年は立てていない。露店はお好み焼き・焼き鳥・たこ焼き・スーパーボール・ハッカパイプ・ヨーヨー・クレープ・落書き煎餅・輪投げ・射的などが出る。
翌日の8時30分より舞台壊しが行われ、夕食会を兼ねて柳屋食堂にてハチアライ(反省会)をする。昔は神主と氏子による神事を行っていたという。
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