入谷いりや



神社の紹介

  「鈴鹿明神社」は伝説によると第二十九代欽明天皇(在位539〜571年)の御代に創建されたという。伊勢国鈴鹿の神社の例祭に神輿が海上を渡御した折、にわかの暴風雨に襲われて東に漂流し、遂に相模国入海の東岸(相模川の当地は南北七里の入り海なり)に漂着した。里人がこの地に一社を創建して鎮守神として、鈴鹿大明神と崇め奉ったと伝えている。その後は京都の八坂神社(牛頭天王)を合祀して座間のお天王さまと呼ばれ、神輿とは深いつながりがあった。

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鈴鹿明神社社号柱
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鳥居幟竿
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狛犬狛犬
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 石祠
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石祠
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 鳥居建設記念碑
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手水舎参集殿・結婚披露宴会場
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燈籠燈籠
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石碑など鐘楼
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社号標玉垣
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狛犬狛犬
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燈籠絵馬
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拝殿神額
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吊り燈籠吊り燈籠
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幣殿本殿
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境内


例大祭

  例大祭は往古6月7日より14日までとし、14日は有鹿神社が磯部勝坂有鹿谷の清水湧き出る洞窟に水もらいの神輿を出し、これに鈴鹿明神の神輿もお供した。鈴鹿明神はこの日で祭りを終え、有鹿明神はこの日より3日間御例祭を執り行っていた。
  現在は8月1日

入谷の祭囃子

  座間の祭囃子は明治30年(1897年)代からのもので、入谷は稲城村(今の多摩市)から導入した伝えがある。

●星の谷囃子(星の谷はやし保存会)
  囃子は「新囃子」を継承し、大太鼓1・小太鼓4・鉦1・拍子木1で構成される。曲目は「宮昇殿」・「屋台(囃子)」・「岡崎」・「祇園囃子」・「七丁目」があり、岡崎では「おかめ」・「ひょっとこ」の踊りが入る。鈴鹿神明社祭礼にトラック屋台で巡行する以外に、8月の風神祭や地区ふれあいまつり、市民ふるさと祭り、収穫祭などでも演奏される。

●皆原囃子(皆原はやし保存会)
  明治8年(1875年)に渋谷村の公田から3人の師匠を招き、指導を受けたのが始まりと伝える。明治末期から大正初期に「カラミ」とよばれる叩き方に改良し、大正6・7年(1917・18年)頃には通称「バカ面」の振りを習得した。囃子は「下町囃子」を継承し、大太鼓1・小太鼓4・鉦1・笛・拍子木1で構成される。曲目は「屋台囃子」・「岡崎囃子」・「ねんねこ」・「屋台囃子」の順で演奏され、岡崎では「おかめ」・「ひょっとこ」の踊りが入る。

●鈴鹿長宿囃子(鈴鹿長宿はやし保存会)
  囃子は「下町囃子」を継承し、大太鼓1・小太鼓2・鉦1・笛・拍子木1で構成される。曲目は「屋台」・「鎌倉」・「ねんねこ」・「岡崎」・「屋台」の順で演奏され、「獅子」・「おかめ」・「ひょっとこ」の踊りが入る。鈴鹿明神社の祭礼や風神祭などで演奏される。



神輿

  神輿の制作年月日ははっきりしないが、昭和4年(1929年)横浜市鶴見の職人によって大修理がなされた書類がある。その証書には修理代金が七百五拾円也と記されている。
  鈴鹿明神の神輿舁ぎ手は18人で、鈴長・皆原・星谷の三地区から6人づつの代表が選ばれて、神輿を舁ぐことが許された。兵役があった頃は甲種合格者が特別に優先的に舁ぐことができ、兵役から帰ると御礼のためにまた舁いだ。
  神輿舁ぎは白丁を着てお祓いを受けた後、神輿にお供えした神酒を口に含み、両手両足を清めるために霧状にして吹きかけてから初めて神輿に触ることができる。神輿を舁ぐと神社から「みこしみそぎ」の場所まで約500mを頭上に両手でさして静かに舁ぐ。みそぎ場で小石を川の水で洗い清めてお供えをし、神事が終わると神輿の胴に新しいサラシを巻き、18人の舁ぎ手は白丁を脱いで初めて神輿に肩を舁ぎ町中を練り歩くことになる。
  先棒が8人、中の「はこ」(台輪、基台)と呼ばれるところに4人、後棒が6人で、中心になる「はこ」の4人が神輿をささえ、前後の14人が自分たちの舁ぐ棒の先が地面につくまでしゃがみこむ。中心の横棒は短く前後は長くしてある。神輿は波がうねるように前に進んでい行き、このような舁ぎ方は全国でも珍しい。
  神輿の胴に巻いた新しいサラシは、渡御が終わり神社への御霊遷しが済むと、安産守護のお守りとして神印が押され産婦に授与される。白丁や神輿のおたすきは男の手で清水の清浄な湧き水で洗い清め、セッケン等は一切使用しないで次の年の舁ぎ手に渡される。


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