下町しもちょう(通り三町)

秋葉神社

  「秋葉神社」の裏山では昭和45年(1970年)に大規模な宅地造成が行われ、富士見が丘が誕生したことにより直ぐ下の現在の位置に社地が移転された。この時に社殿は新しく造営されたが、旧参道は途中で封鎖され、現在は大鳥居が保存されている。創祀年代は明らかではないが、安永元年(1772年)の「塩海百姓仲」という棟札が残されている。祭神は俗に火伏せの神といわれる「火の迦具土の神」で、本州は遠州の秋葉神社である。昔は毎年町内の役員がくじ引きで当番を定め、下社の可睡斎へ参拝へ行っていた。

秋葉神社鳥居
拝殿本殿
燈籠境内
坂道の左手にある旧参道の入口
参道を進むと奥に大鳥居が見える


例大祭

  



神輿

  通り三町と呼ばれる上町・中町・下町では八坂神社神輿を共同で所有しているが、下町単独では中神輿と小神輿、さらに4基の子供神輿を所有している。これら7基の神輿が担がれるのは7月に行われる八坂神社祭典であり、下町内の最後の渡御では7基の神輿が列をなして担がれ、この7連渡御が当祭典の見所の一つとなっている。

中神輿小神輿
下町内を渡御する中神輿と小神輿

  下町自治会には神奈川県産の檜(ひのき)の間伐材を利用した子供神輿4基があり、これらは平成20年(2008年)1月12日の完成披露式典で披露されたものである。式典が行われた下町老人憩の家には地元住民百人以上が集り、祭り囃子の演奏も披露された。
  子供神輿ができる前には花で飾った花神輿があったが、地域住民の集会で地域の行事に参加する住民が少なくなったことが話題となった。そのなかで「子供が参加する機会が増えれば大人も一緒に参加する」という意見があがり、神奈川県産の檜のPRを兼ねて子供神輿の新調が決まった。財政的にゆとりがないために自治会員の蓮場良之氏が、知人で木材について詳しい秦野市在住の神奈川県職員(林業課)の小島康弘氏に製作を依頼した。
  木工が趣味の小島氏にとって神輿造りは始めてであったが、間伐材の活用がアピールできると引き受けた。仕事の傍ら神輿の作業は休日のみで、たった1人で1年を掛けて完成させた。通常1基数十万とされる子供神輿だが、小島氏の尽力により材料費の20万円だけで4基が完成した。なお、下町自治会は4つの区に分かれており、それぞれの区の子供達が担げるようにと4基が製作された。白木の神輿は高さ1mで四方が50cmのサイズで、八坂神社祭典に飾りつけが行われる。

完成披露式典での子供神輿祭典前日の子供神輿(児童館)
祭典当日の子供神輿下町内を練り歩く

志保美囃子

  下町地区の「志保美囃子」は大正末期に青年会員が大磯町西小磯(西小磯は東西2つの囃子がある)の東から習得したと伝えられ、囃子の伝承が危うくなった昭和51年(1976年)に「志保美囃子保存会」が創立された。志保美囃子は二宮町では「鎌倉囃子」の区分に入り、同じ通り三町である中町にも下町から鎌倉囃子が伝わっている。現在の活動は、町内の氏神である春の秋葉神社祭礼や夏の八坂神社祭礼で囃され、秋の川勾神社祭礼では神輿送迎囃子として祭典を盛り上げている。
  囃子は「大太鼓1」・「小太鼓2〜3」・「鉦1」・「笛1」で構成され、曲目は「ブッツケ」・「野帝」・「宮聖天」・「聖天」・「仕丁面(玉入り)」・「人婆」・「キザミ」・「野帝」の順で演奏される。囃子の特徴は曲目ごとに舞が入り、「村長」・「白狐」・「翁」・「おかめ」・「ひょっとこ」・「狸」の踊りを伴う。
  以下は八坂神社祭典前の練習の様子である。多い時で小学生は80名くらい参加し、中学生の会員も20名ほどいるという。

八坂神社祭典に向け憩の家にて囃子の練習
右奥には締太鼓が3個その手前ではタイヤを使って練習
左奥には締太鼓が5個と大太鼓が1個で立って叩く
囃子には笛も入る大人が小学生へ締太鼓を指導
中学生が叩く大太鼓にも先生の指導が入る
向かい合って胴も叩いて練習先生の笛に合わせて叩く
練習が終わると子供達はジュースをもらう
バチは木箱にまとめ締太鼓のボルトを緩める
太鼓の台を奥へ移動し
御座をたたんで片付けを終える


山車

  下町には昭和2年(1927年)頃に建造されたと伝えられる山車があり、現在でも現役で使われている。山車は家の梁などでよく使われる松材を使った木造で、古老の話では昔は脂(ヤニ)が出ていたという。八坂神社祭典においてはこの先人たちの手によって守られてきた山車の上で囃子が演奏され、囃子に合わせて舞が入る賑やかな山車を綱で引いて町内を巡行し、「道行(みちゆき)囃子」としての伝統を守っている。過去には川勾神社例大祭の神輿送迎の囃子として、山車の上で演奏して東海道を巡行していたが、交通状況や時代の変化と共に現在では八坂神社の祭典のみでその姿を見ることができる。
  かつては現在の憩の家の場所に薬師堂と呼ばれる札所があり、その敷地内に山車を格納する小屋があった。昭和40年代に現在の憩の家が建てられると、それまであった山車の保管場所に困り、当時は祭礼が一時中断されていたこともあり山車の処分を考えたというが、先人たちが残した貴重な遺産を残そうと場所を移して現在の山車小屋を作った。
  下町には上記の山車のほかに、トラックの荷台に載せて巡行するための囃子屋台も存在する。山車が巡行するためには多くの人手が必要とされ、八坂神社の祭典で実際に巡行できる時間は2時間程であるため、宵宮の巡回や神輿に同行する際はトラックの屋台上で囃子を演奏する。屋台を格納する小屋は山車小屋の隣に作られている。

昭和2年に撮影された山車昭和61年に撮影された山車
平成23年に撮影した山車(正面)同左(側面)
台座部分(正面)同左(側面)
ハンドル(正面)同左(背面)
木製の車輪屋根
屋根上部の彫刻(正面)同左(背面)
トラックに載せた屋台(正面)同左(側面)
山車小屋隣は屋台をしまう小屋

  下町の山車の特徴としては廻り舞台が上げられ、台座と舞台を固定する止め具を抜くと舞台を回転することができる。現在でも山車巡行時の休憩場所でこの廻り舞台を目にすることができ、回転する舞台の上で子供達が囃子を奏でる。

正面では締太鼓が2個その隣で面を被って舞う
大太鼓は後ろ向きで叩き笛と鉦は空いたスペースで演奏
子供達が2本の綱で山車を曳くテコで車輪の向きを変えていく
舞台を固定する止め具止め具を抜いて
舞台を回転させる回転中も囃子を奏でる


その他の行事

●平成23年(2011年)7月16,17日・・・八坂神社祭典(下町編)  


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