山北道祖神祭
道祖神祭
地元では単に「どうそじん」と呼ばれている。道祖神は子供の神だといわれ、道祖神の祭りは子供主体で行う。男女の区別はなない。明治後期に子供たちがお面をかぶって、各家庭を廻って踊り歩いていたのが始まりと言い伝えられている。
山北地区では大正の初め頃に萩原庭や池田庭で屋台が製作され、屋台を曳くようになると、他の庭でも屋台を曳きたいと思うようになり、屋台を曳くことが徐々に広がっていったようである。戦前は池田庭・鶴野庭・清水庭・宮万庭ぐらいが15日に廻っていた。終戦直後は若い衆が世話を焼きながらも小学生をこき使い、自分たちは酒を飲んで遊んでいたため、これがもとで町で道祖神の祭りをやめようということになり、屋台曳きだけが中止になった。昭和30数年頃に屋台曳きが復活した。
合同巡行は昭和43年(1968年)の明治百年祭にあたって、山北連合自治会の主催により成人祝いを兼ねて行われるようになったのが始まりのようである。会場で太鼓を叩き、神職の御祓いの後に出発する。それ以前は各庭が別々に各庭の氏子地域を巡行するだけであった。
ニワ(庭)
当地では道祖神祭に参加する家々の範囲を「ニワ(庭)」と呼んでいるが、行政上の自治会の範囲とは異なり、主に祭りに際して機能する範囲である。山北地区には9庭あり、「庭廻り」と呼ばれる庭内の巡行のほか、他の庭との合同による巡行を行っている。
庭 | 自治会 | 詰所 | 花車 | |
1 | 萩原庭(萩原 上・萩原中) | 花車(大正初期) | ||
2 | 池田庭(萩原下 ・田屋敷・馬場) | 花車(大正初期) | ||
3 | 馬場・田中庭 | 花車(大正初期) | ||
4 | 鶴野・田中庭 ・鶴野南 | 鶴野 観音堂 | 花車(大正10年) | |
5 | 清水庭 | 上清水 中下清水 | やまなみ 工芸 | 花車(大正13年) |
6 | 宮万庭 (宮地・万随) | 花車(昭和5年頃) | ||
7 | 宮下庭 | トラック屋台・小神輿 | ||
8 | 梶山庭 | 中神輿 | ||
9 | 杉ノ木庭 | 小神輿(大正11年) |
祭りの実施日
本来、道祖神祭の実施日は正月14日・15日の小正月の日と決まっており、昭和23年(1948年)から15日は成人の日として国民の祝日となったが、ハッピーマンデー法の施工により平成12年(2000年)から1月第2月曜日が成人の日となると、15日が毎年祝日であるとは限らなくなった。これにより、道祖神祭の実施日をどうするかが問われることになり、屋台を曳く為に多くの参加者が必要な当祭りでは、実施日の選定は祭りを存続させる上で極めて重要になった。
平成12年(2000年)の場合は成人の日が1月10日(月)になったため、合同による屋台の巡行はセエトバライ後の日曜日に行われた。次に、平成16年(2004年)の場合を紹介する。平成15年(2003年)11月に巡行する地区の各自治会長と道祖神責任者が集まり、会議を行った結果、平成16年(2004年)の場合は1月15日前の土・日にあたる10日・11日に行われることが決まった。このことは12月中旬に「山北連合自治会長」名で、「各自治会長、道祖神役員、自治会組長、自治会会員」宛に文書が回覧されて報告された。内容を以下に記載するが、実施日について以外はおおむね例年どおりである。
『 災盗払い(団子焼き)の実施について
恒例の災盗払い(団子焼き)は、次のとおり実施することに決定しましたので、火の元には十分注意していただき事故のないようにお願いいたします。
実施日時 平成十六年一月十日(土) 午後三時〜五時
道祖神祭の神輿・花車の巡行について
道祖神祭に際しましては、種々ご配慮を賜り厚くお礼申し上げます。つきましては、次のとおり神輿・花車の巡行を別紙運行計画に沿って挙行いたしますので、会員のかたがたが揃ってご参加頂きますようお願い申し上げます。
なお、実施日については、十一月に自治会長・道祖神責任者合同会議で決定されましたので、ご承知頂きたく申し添えます。
実施期日 平成十六年一月十一日(日)
集合場所・時間 山北体育館 十二時三十分
解散場所・時間 山北駅前 十六時二十分 』
花車
屋台を曳く各庭では誕生や結婚、成人祝いなどのお祝い事のあった家々から屋台に付ける提灯や寸志が奉納される。提灯には祝いのあった当人の名前を記す。
万灯
平成元年頃に夕方の駅前で、清水庭と宮万庭が最初に万灯をのせた。
前夜祭(宵宮)
前夜祭(宵宮)は平成元年(1989年)頃に始まった。現在、前夜祭で花車を出している庭は池田・鶴野田中・清水・宮万の4庭である。
町内巡行
合同での巡行が始まった当初は各庭の屋台と神輿が山北体育館に向かい、体育館の敷地に安置した。道祖神祭の祭典は12時35分から始まり、松田町の寒田神社の神職が招かれて神事を執り行う。修祓・降神・献饌の儀・祝詞奏上が行われ、続いて玉串奉奠では神職に次いで、山北町連合自治会長ならびに副会長2名が玉串を捧げたのち、各庭の責任者2名ずつが順次玉串を祭壇に捧げる。それは萩原上・中、池田、馬場・田中、鶴野・田中、清水、宮万、杉ノ木、梶山、宮下の順である。
次に幣束の儀に移り、降神の儀によって道祖神が招かれ、その分身である幣束を神職が各庭の責任者に手渡す。各庭の責任者は屋台や神輿にこれを納め、屋台の場合はこの幣束を全面上部に取り付けたりする。そして撤饌の儀、一同拝礼の後に直会となる。連合自治会長が音頭を取り、祭りの安全を祈願する内容の口上を述べてから乾杯をする。直会の最中から子供たちによる囃子の演奏が披露される。
式典会場を13時に出発するが、順番は杉ノ木、梶山、宮下、宮万、清水、鶴野・田中、馬場・田中、池田・萩原の順番で、神輿3基が先頭になり、その後ろを屋台6基が続く。途中で室生神社に到着すると3基の神輿は参道を進み、社殿の周りを右回りに三周してから拝殿前に安置する。境内では参加者の為に酒やおでんなどが振る舞われる。
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