片町
御嶽神社
片町の鎮守である「御嶽(みたけ)神社」の祭神は「日本武命(景行天皇の皇子)」で、16歳にして熊襲を平定し日本の謚(おくりな)をおくられついで東夷を平定した英知と武勇の力を発揮する神である。当社は天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』に田中村持の神社として数社記載されているうちの「御嶽社」といわれ、片町に分村した後の明治初め頃に氏神を持たなかった片町のものになったという。
御嶽神社 | 鳥居 |
水鉢 | 水鉢 |
拝殿 | 覆殿 |
由緒 | 倉庫 |
かさ神さま(淡島社) | 由緒 |
神楽殿 | 片町福祉館 |
石碑 | 道祖神 |
石碑 | 境内 |
山車組立・太鼓準備 (開始13:00、終了14:30)
例大祭の前日は9時から準備が始まり、神社役員を中心に境内の飾りつけや模擬店の準備等が行われる。なお、7月17日(木)にも祭典の準備が行われており、門飾りや子供が叩く太鼓用の舞台などは既に設置されている。ここからは平成26年(2014年)7月19日(土)の午後からの準備と宵宮の様子を紹介する。
宵宮は午後からの取材 | 境内の飾りつけは |
午前中で終了 | こちらはのしの掲示板 |
13時からは太鼓保存会により | 山車の組立 |
材料を運び境内へ並べる | トラックへ土台を置き |
四隅に | 柱を立てていく |
アオリを閉めて根太の上に | 合板で床を張り |
両サイドに欄干を取り付ける | 屋根を運び |
後ろの欄干を取り付ける前に | 柱に屋根を載せる |
締太鼓の枠とべニアを運び | 枠は後ろの欄干に乗せ |
べニアは欄干へ固定 | 奥ではテントの準備 |
べニアは3面に張ります | テントをもう一つ設置 |
神楽殿から | 箱のような物を運び |
運転室の上に載せると | 移動時の収納となります |
軒下に一周 | 紅白幕を渡す |
土日は天候が怪しく | ビニールシートを用意 |
中央の柱に座布団を | 巻き付けて紐で固定 |
太鼓が雨に濡れないように | 太鼓枠もシートで覆う |
荷台周りにも | 紅白幕を回す |
中央の舞台も雨仕舞のため | 天井に仮の下地を渡し |
ビニールシートを | 掛けていく |
この屋台はかつて祭礼時に | 囃子を奏でて曳かれた山車です |
もう一枚シートを被せる | ここは子供たちが太鼓を |
叩く舞台になります | 神楽殿横の倉庫へ戻り |
大太鼓を運び出し | 中央の柱へ結びつける |
続いて締太鼓を運び | 濡れないように山車へ |
枠へ設置し | 準備完了 |
太鼓演奏 (開始14:30、終了15:30)
山車の準備が終わり、太鼓を設置すると、片町太鼓保存会により祭囃子の演奏が行わる。なお、片町福祉館の2階では2日間の祭典の間、地元の氏子による作品展が開かれている。
小雨が降る中 | 太鼓の演奏が始まる |
ビニールシートの中は | サウナ状態です |
片町の太鼓の達人です | 私の5歳の息子(左)も参加 |
30分ほど叩くと休憩 | 小雨はまだ続きます |
5分ほど休憩を取ると | 再び太鼓の演奏 |
こちらは親子で叩きます | 合計1時間程で演奏は終了 |
雨の為かお客さんは疎ら | 片町福祉館の玄関には |
神社の受付 | 作品展の看板があり |
階段で2階へ上がると | 広い展示室があり |
壁にはお子さんが描いた | 絵が展示 |
中央のテーブルには工作物 | こちらは大人の方の絵が展示 |
夕方からの催し物の為に | 太鼓の山車が移動 |
境内でハンドルを | 切り替えし |
北側へ向かって進み | 国道246号へ出ると |
左折 | すぐに左折し |
裏道を回って | 臨時で借りている駐車場へ |
宵宮での大人の太鼓は | おしまいです |
輪投げゲームと太鼓演奏 (開始17:00、終了18:00)
17時からは神楽殿前で小学生までの子供たちによる輪投げゲームが行われ、ゲームを終えた子供たちから中央の舞台で太鼓の演奏が披露される。なお、模擬店の営業は16時頃から開始され、「焼きそば」・「フランクフルト」・「かき氷」・「綿菓子」が販売される。片町太鼓保存会のテントでは太鼓に参加した子供たち用に、輪投げと千本くじの出店を行い、合わせてドリンクの販売コーナーも設置される。
太鼓保存会の準備が進む | 模擬店は16時から営業 |
右手は焼き鳥とフランクフルト | 左手はかき氷と綿菓子 |
太鼓保存会ではラックに | 紐を通し(私もお手伝い) |
先端には洗濯ばさみが | どの様に使われるのでしょうか? |
福祉館から輪投げの道具を | 神楽殿前のステージへ |
運び出す | ”わ”が大きいです |
右側に的を置き | も一つの的は |
左側に設置 | 準備が整うと |
自治会長の挨拶で | 輪投げゲームの開始です |
名前を記入した順番で | 輪投げを開始 |
小学校低学年と | 高学年に分かれて輪を投げる |
中央の舞台では | 太鼓を準備 |
取材を通して初めて見た輪投げ | 太鼓の準備が完了 |
こちらは太鼓保存会の輪投げ | 先ほどのラックは紐に景品を結ぶ |
ドリンク売り場も完備 | 酒屋さんがいるので本格的です |
輪投げを終えた子供から | 太鼓を叩く |
幼稚園生は | 少し前から投げられます |
景品にバナナをもらう | 印場を叩く子供たち |
焼き鳥は大人気 | 太鼓の順番を待つ子供たち |
途中で屋台囃子に変わり | 私も大太鼓の応援に入る |
焼き鳥担当は大忙し | かき氷と綿菓子はなんと無料 |
太鼓を終えた子供たちは | 保存会のテントへ移動 |
輪投げと | 千本くじは |
太鼓参加者が対象です | どこも行列ができています |
太鼓参加者に配られる | 無料券 |
紐を引っ張り | 結ばれた景品が貰えます |
欲しい景品をめがけて投げる | 夏休みの良い思い出です |
ここで高山市長がお見えになり | 挨拶が入る |
民謡おどり大会と片町商店会抽選会 (開始18:30、終了19:50)
18時30分からは民謡おどり大会が行われ、間に片町商店会の抽選会が行われる。宵宮の催し物はこれで最後となる。
着物姿の女性が登場 | 代表者の挨拶で |
民謡おどり大会が始まる | 輪になって踊ります |
太鼓保存会のゲームは続く | 19時になると |
子供たちにアイスを配布し | 商店会の抽選会が始まる |
心配された天気は | 最後まで持ちそうです |
こちらは抽選会の景品 | 相変わらず人気の焼き鳥 |
抽選会のくじ引きが終わり | 神楽殿前にて |
景品を受け取ります | 宵宮のイベントはこれで全て |
東海大学の方で打ち上げ花火 | 20時前に踊りが終わり |
各団体が片付けを始める | 太鼓保存会はテーブルを片付け |
テントはそのまま | 模擬店のテントもそのままです |
神楽殿に雨戸を上げ | 模擬店にはブルーシート |
明日の例大祭も | 天候が持ちますように |
例大祭式典と直会 (開始10:00、終了12:00)
ここからは平成26年(2014年)7月20日の例大祭の様子を紹介する。例大祭当日は神社役員の集合時間が9時となっており、10時から開始される式典の準備などが行われる。式典は三之宮の比々多神社の宮司によって執り行われ、式典後は福祉館にて直会が開かれる。太鼓保存会は太鼓の準備を行い、昼前に1時間程太鼓を叩く。
朝9時に | 神社役員は集合 |
掲示板ののし紙 | 10時から神事があります |
かさ神様にも | 供物をそなえる |
福祉館から馬を運び | 続いて神輿を運び出す |
私も一緒に手伝い | 馬の上に |
神輿を置いていく | 3基運んで |
正面を南側に向ける | 宮司が到着し神事の準備 |
私の次の仕事は | 山車の移動 |
246号線に出て | 境内へ到着 |
今日は天気が回復し | 雨除けのビニールシートを |
捲し上げる | 締太鼓を山車へ載せる |
10時から式典開始 | 宮司が神輿をお祓い |
太鼓保存会のメンバーと | 山車をお祓い |
お祓いが終わると | 社殿へ戻って神事を続ける |
私は太鼓の革踏み | 参列者は社殿を出て |
かさ神さまをお参り | 式典後は福祉館で直会 |
太鼓保存会は倉庫から | テントへ出店の準備 |
大太鼓を柱へ結びつけ | 11時頃に休憩を入れる |
赤飯のおにぎりで | 腹ごしらえをし |
太鼓を叩く | 私は後ろで大太鼓を担当 |
直会を終えた宮司が | 車に乗り |
祭り囃子でお見送り | 比々多神社へ帰ります |
1時間ほど | 太鼓を叩き |
12時に昼休憩 | 揚げ物で腹ごしらえ |
この後は宮立ちへ。
囃子
昭和30年代の片町の太鼓は大変盛んで、近隣からも太鼓を持参して競り合いを行っていた。昭和30年代に入ってから製作された山車では、大人が舞台の上で太鼓を叩き、子供たちが旭せんべい店から今井青果店まで山車を曳いていた。しかしながら、国道246号線の整備拡張により境内の敷地が縮小されたことから、片町の太鼓は一時期途絶えてしまった。しかし、平成5年(1993年)に商店会の青年勇士により、近隣の板戸と上粕屋の秋山太鼓保存会から太鼓の基礎を学んで祭り囃子を復活させた。さらに比々多地区の栗原と笠窪、鶴巻の落幡とも交流を深め、現在の祭り囃子を造り上げた。祭り囃子の組織は「片町太鼓保存会」として活動しており、御嶽神社の祭礼以外には伊勢原観光道灌まつりに参加している。
かつて曳かれた山車 | 木の車輪が付いている |
現在のトラックの山車 | 床が上げられている |
片町の祭り囃子の曲目は通常演奏される「宮昇殿」・「キザミ」・「屋台囃子」の他に、「昇殿」・「四丁目」・「印場」・「乱拍子」があり、太鼓は締太鼓2個と大太鼓1個で構成されている。伊勢原市の中でも太鼓はかなり締められており、その甲高い音が特徴的である。
屋台 囃子 |
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片町の太鼓の練習は大祭前の5日間(月曜日から金曜日)行い、太鼓保存会のメンバーが19時から21時まで、子供たちに囃子の指導を行う。19時から20時までの時間帯は単調なリズムの繰り返しである「印場」の練習を行い、20時から21時までを難しい曲となる「屋台囃子」の練習に充てる。以下に、練習の様子を紹介する。
今年最初の練習となります | 脚立に照明をセットし準備完了 |
子供たちを整列させ | 練習の説明をします |
7時からは | 印場の練習 |
叩いた子から出欠確認 | 指導をする保存会メンバー |
8時からは屋台囃子の練習 | タイヤで練習する子共たち |
大太鼓は大人が叩く | 1年振りで苦戦しているようです |
天気の良い日は外で練習するが、天候が心配されるときは片町福祉館の中で練習を行う。以下は最後の金曜日の練習の様子である。
金曜日に行くと | 祭礼の飾りつけが終わり |
舞台の設置も完了 | この日は雨が心配され |
片町福祉館の中で練習 | 印場の練習が終わり |
子供たちにアイスを配る | 続いて屋台囃子の練習 |
練習後も並んで | アイスをもらいます |
神輿
御嶽神社で一番古い神輿は中型サイズのもので、昭和30年代に購入されたものである。かつては祭礼時に山車と共に片町地区を渡御し、中学生から大人までが「ヤートサッセ」の掛け声で神輿を担いでた。現在は社殿内に保管されており、担がれることはない。一方、子供用の神輿は中型の神輿と小型の神輿、それと樽神輿の計3基あるが、祭礼時で担がれるのは小神輿と樽神輿の2基のみである。
昭和30年代に購入した中神輿 | 中神輿 |
小神輿 | 樽神輿 |
宮立ち (出発13:00)
昼過ぎになると神輿の担ぎ手である子供たちが境内に集まり始め、13時になると樽神輿と小神輿の2基が境内を出発し、片町地区を渡御する。太鼓の山車も片町地区を巡行するが、子供神輿とは別行動で移動する。
食事を終えると | 再び太鼓 |
片町の太鼓は | かなり締まっています |
子供たちが集まり始める | 出発の時間が近づいてきました |
樽神輿を忌竹から出し | 境内の中央へ移動 |
馬の上に置いて | 横棒を2本追加 |
もう1其の小神輿も同様に | 境内中央へ移動し |
横棒を2本追加 | 子供たちに笛を配る |
境内に鳴り響く祭り囃子 | 気温が上がってきたので打水 |
12時50分になり | 樽神輿と |
小神輿が担がれる | 賽銭箱も担がれます |
宮立ちの為に太鼓はストップ | 自治会長に先導され |
参道から | 鳥居を潜って |
樽神輿と | 子供神輿が出発 |
直進して西へ進む | 最後尾は賽銭箱 |
子供神輿が出発すると | 山車に飲み物を積み |
国道側の門を開け | 山車へ乗り込む |
境内を | 一周し |
山車が境内を出発 | 246号線へ出て |
左折し | 直ぐに左折 |
これから片町地区を | 巡行していく |
このあとは町内操出しへ。
宮入り (到着15:10)
太鼓の山車は境内の北側から宮入りし、子供神輿は山車よりも一足先に宮入りを済ませる。例年だと宮入り後も太鼓を暫く叩き続けるが、この年は宮入りと同時に雨が降り始めた為、大人の太鼓は宮入りで終了となり、直ぐに山車をばらすことになった。
伊勢原交差点を | 右折し |
東京方面へ向かい | 直ぐに右折 |
北側の入口から | 宮入りし |
境内に山車をとめる | 既に宮入りした子供神輿 |
雨が降り出したので | 直ぐに太鼓を外し |
神楽殿へ移動 | 大太鼓も縄を外す |
のし紙を外していく | 大太鼓も中へ運ぶ |
クーラーボックスを下す | 出店では準備を開始 |
荷物を下し | 神楽殿へ移動 |
荷台周りの紅白幕を | 外していく |
椅子にしていたP箱を下し | 雨除けのビニールも外す |
荷物を全て降ろすと | トラックをバックさせ |
そのまま246号へ出て | トラックを移動 |
境内では外した | 紅白幕と |
ビニールシートを折り畳む | テントでは出店の準備 |
裏に移動した山車へ向かい | 山車の解体に取り掛かる |
荷台周りの | べニアを外す |
屋根の留め具を外し | 屋根を柱からずらすと |
縦に倒して | 荷台からおろし |
地面へ置く | 欄干を外し |
柱を抜いて | 荷台へ倒す |
べニアや | ばらした木材を積み |
最後に屋根を | 荷台へ載せ |
全て積み終わると | トラックを移動 |
一旦、頭を外へ出し | バックで駐車 |
太鼓演奏 (開始17:15、終了17:50)
夕方からは境内の中央に設置された舞台の上で、子供たちによる囃子太鼓が披露される。宵宮と同様に、太鼓を叩き終わった子供たちは太鼓保存会のテントへ移動し、輪投げと千本くじのゲームに参加する。
出店では調理開始 | 子供たちが列を作る |
境内には椅子が並べられ | 神楽殿では音響の準備 |
かき氷は無料です | シロップを沢山掛けて♪ |
片町横丁は商店会のイベント | 舞台では太鼓の準備 |
椅子を | ステージ側へ寄せる |
こちらはカラオケの受付 | 子供たちは舞台へ集まり |
最初は低学年を中心に | 印場から |
子供たちの太鼓の間に | 保存会は出店の準備 |
太鼓の方は | 印場を終えて屋台囃子 |
叩き終わった子は | スイカを貰います |
全員叩き終え | 太鼓の時間は終了 |
マジックショー (開始17:50、終了18:15)
子供たちによる太鼓演奏が終わると、神楽殿のステージではマジックショーが行われ、境内に設置された椅子は殆どが埋め尽くされた。
神楽殿での余興は | マジックショー |
お客さんが多いです | ショー中に太鼓をばらす |
最後は | 脱出マジック |
女性を拘束し | 箱の中へ |
紐で蓋を固定し | 黒い布で覆うと |
男性が箱の上に立ち | なんと拘束されていた |
女性が現れ | 紐をほどき |
蓋を外すと | 中から男性が出てきて |
女性と同じように | 拘束されています |
どうやって2人は | 入れ替わったのでしょうか? |
最後に挨拶をして | 拍手をもらいます |
太鼓を終えた子供たちは | 保存会のテントへ向かい |
最初に受付 | 券をもらって |
輪投げと | 千本くじのゲームに参加 |
出店では焼き鳥と | フランクフルトが完売 |
保存会のゲームは大人気 | 行列ができてます |
みんなでカラオケ (開始18:35、終了20:35)
例大祭の最後の余興はカラオケとなり、地元の氏子が参加して夜まで歌が続けられる。
最後の余興はカラオケです | 最初は話題の妖怪ウォッチ |
会場も盛り上がる | 歌を終えると |
下で景品をもらう | こちらは親子で参加 |
日がだいぶ暮れてきました | カラオケはまだまだ続く |
再び子供たちが参加 | ここで雨が降り始め |
急いで椅子をしまう | 雨でもカラオケは続く |
かなりの大降りです | 保存会は後片付け |
テント下で雨を凌ぐ | 気温も下がってきました |
神輿もテント下へ避難 | 神社役員は雨の中片付けを |
少しでも進めます | このあたりは |
飛び入り参加のようです | テントで待機する保存会 |
カラオケは | 最後まで続けるようです |
傘を差して鑑賞 | 最後は子供で締めくくる |
保存会はトラックを移動 | 片付けは明日に延期です |
例年であれば、余興が終わった後に後片付けを行うが、今年は雨のために翌日の月曜日の午前中に延期された。
祭礼の歴史
かつて御嶽神社の例大祭は7月22日で、戦前までは7月21日の宵宮に相撲が行われ、7月22日の例祭には神楽を奉納していた。相撲は若い衆を中心としたものであり、勝った者には賞品が出たという。
片町は商店会を背景とした地域であり、昭和30年代に入ると商店会の活気もあって、中神輿が担がれるようになり、太鼓の山車も製作されて町内を曳かれるようになった。当時は子供たちが祭りに参加できるように祭りのある地域の小学校は午後から休校となっていたとからも、この頃の祭りはどこの地域でも重要な行事であると認識されていたことが伺える。さらに、片町の御嶽神社の敷地は現在の3倍程あり、露店も20件以上出たと言われていることから、この頃の祭典はかなり盛大であったようである。
しかしながら、昭和30年代後半になると東京オリンピック(昭和39年開催)の道路整備の為に、国道246号線が片町地区の中心地を通過して地域を2つに分断し、さらにお宮の敷地も三分の二が国道に割り当てられてしまった。これにより山車も神輿も出すことができなくなり、一気に祭りが衰退してしまった。
その後は祭りの衰退が暫く続いていたが、平成5年(1993年)に商店会の青年勇士により祭り囃子を復活させ、現在では2基の子供神輿とトラックの太鼓山車の巡行が行われるようになっている。近年の祭典は7月22日に近い日曜日が大祭日、その前日に宵宮が行われている。
片町の歴史
『風土記稿』では、田中村の条に「小名片町に住するものは、村略大山道の傍に軒を連ね、時用の物を鬻(ひさ)ぎて生産を資(たす)く、又其地伊勢原村に続けるをもて、彼村市の時は大に賑はへり」とあり、これが大山道北側に連住した「田中片町」である。一方、板戸村の条にも小名として片町の名が記載されており、「一は大山道幅二間、此道側に連住する民三十戸許あり、旅店或は諸物を鬻ぎ、伊勢原村市の日は、殊に賑はへり」とあり、これが大山道南側の「板戸片町」であると考えられる。このように、江戸時代にはすでに片町が地域的なまとまりをもっていたことを伝えている。
現在、片町という住所は存在しないが、伊勢原交差点を中心として御嶽神社のある南東の伊勢原3丁目の一部、北東の田中の一部、そして北西と南西の板戸の一部が氏子範囲となっており、自治会は片町第一と第二に分かれている。また、県道61号である平塚伊勢原線沿いをメインに片町商店会が組織されている。
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