長坂ながさか



神社の紹介

  「日枝神社」は下関口部落の一部の住民が西方津川沿の長坂に移り、同部落の鎮守山王社(現日枝神社)を分祀したものである。江戸時代までは「山王社」と称し、別当は厚木村(現旭町)の熊野堂であった。明治時代以降に「日枝神社」と称するようになった。祭神は「大山咋命」である。
  境内には村内の浄土宗大信寺の末寺で「専称院」という庵があり、寛文6年(1666年)奉納の阿弥陀如来像を本尊としていたが明治初期に廃庵となり、現在この像は大信寺に安置されている。神社本殿は天保3年(1832年)に再建されたもので、この棟札には別当として熊野堂の名が書かれている。このほか境内には元禄16年(1703年造立の石造地蔵像を納める地蔵堂や、寛政6年(1794年)造立の道祖神などがある。
  長さ家畜の北方に古く「山王あらく」と呼ぶ畑があり、この畑地の年貢分を神社の費用にあてていたという。

2008.8.232008.8.23
石階段水鉢
2008.8.232008.8.23
狛犬狛犬
2008.8.232008.8.23
燈籠庚申供養塔
2008.8.232008.8.23
拝殿幣殿・本殿
2008.8.232008.8.23
社務所
2008.8.232008.8.23
神楽殿境内


例大祭

  大祭の1週間前に氏子対象で神社境内と参道の清掃を行い、大祭前日に舞台内の飾り付けおよび段取りの準備、提灯の飾り付け、幟2本を立てる。
  当日は10時から宮殿にて式典を行い、神主、氏子総代(6人)、自治会役員(4人)が参加してお祓い、祝詞奏上、玉串奉奠の神事を行う。17時より余興(舞踊と唄)が始まり、舞踊は下川入笹生一座の深山会による(笹生一座の座長は長坂出身なので昭和59年より頼んでいる)。余興は一年おきに関口の日枝神社と交互にやる。
  地域の長友会が境内に露店を6軒出し、焼きそば、焼き鳥、綿菓子などの食べ物を売っている。

太鼓

  

神輿

  


戻る