下関口しもせきぐち(宮ノ前)



神社の紹介

  「日枝神社」の勧請年月は不詳だが、関口村が上下に分村した際に下関口の鎮守社として創建されたと伝えられている。関口では江戸時代まで字内輪うちわにある御嶽神社が村の鎮守であった。
  天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』によると「山王社」を小名下関口の鎮守としていたが、明治に至り「日枝神社」と改称した。祭神の「大山咋神」は別名を「山末?之大主神」といい、山を主宰し給う神である。当社の御神体は鉄製の丸鏡にて仏像が鋳造され、古くは磯辺村(現相模原市)の「仏像院」が別当であった。境内には文久3年(1863年)奉納の水鉢があり、末社として「蚕神社」と元治元年(1864年)建立である「金毘羅社」の石祠がある。
  旧本殿は嘉永7年(1854年)12月の再建され、棟札には法主として仏像院の名が書かれている。この本殿は既に130年余りの歳月が経ち損傷が著しかったため、近年になり再建をした。旧社殿は境内中央に位置しており、裏山の切土、古木の伐採、前庭の盛土等をなし広場造成を行った。

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日枝神社社号柱
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由緒蚕霊神
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鳥居燈籠
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狛犬狛犬
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拝殿本殿・幣殿
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水鉢水鉢
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境内厚木市立 関口老人憩の家
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例大祭

  『風土記稿』によると同じ下関口に所在する御嶽神社と例祭を旧暦の6月20日に隔年で実施したと伝えられている。
  昭和30年(1955年)頃までは10月15日だった。神主、氏子総代、自治会長、生産組合長ほか役員(計10人)が参加して、現在はお祓い、祝詞奏上、玉串奉奠などの式典のみ行う。余興は長坂の日枝神社と交互に1年おきにやる。また、露店は地域の土曜会が中心で出す。
  準備は務め人が多いので大祭前の休日に行う。10時から幟立ての準備と竿柱を立てる。大祭当日は9時から宮殿内の清掃、お供物等式典の準備、幟旗掲揚を行う。昭和30年(1955年)頃までは祭日の2日前に村中全員で幟を立てた。
  昔は土曜会(青年会)の協力で祭りをやった。昭和23年(1948年)に長坂の日枝神社が独立するまでは、関口の日枝神社に統一されており、青年団も一緒だった。

太鼓

  

神輿

  


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