山北
室生神社
「室生(むろう)神社」は旧川村山北の鎮守で、創立年代は不詳であるが、社伝によれば天正8年(1580年)の草創とある。祭神は「建御名方尊(たてみなかたのみこと)」・「日本武尊(やまとたけるのみこと)」・「菅原道真」の他に、明治42年(1909年)3月1日に無各社の27祭神を合祀している。
天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』には室生神社は始め中川にあったものを天正8年(1580年)に岸へ移転し、その後に主神として祀られている天神の社(現在地)に遷宮したとあり、現在、中川には大室生神社がある。室生神社は昭和13年(1938年)に書かれた県知事宛の文書の中で、丹沢山塊の大室山に関係することが述べられている。元来、大室山には事代主命・建御名方命の二神が祀られていたが、事代主命が旧三保村の中川に、建御名方命が室生神社に祀られるようになったとされている。この由来に従って、室生神社の流鏑馬ではその的役を中川の氏子が用意することになっており、中川の大室生神社の祭礼には山北の室生神社の氏子総代が参加する習慣になっている。
室生神社 | 鳥居 |
社号柱 | いちょう(町指定天然記念物) |
石碑 | 贈位記念碑(大正13年) |
石碑 | 石碑 |
手水舎 | 水鉢 |
狛犬 | 狛犬 |
燈籠 | 神額 |
拝殿 | 覆殿 |
社務所 | |
太鼓小屋 | 倉庫 |
山北町体育協会弓道場 | |
絵馬掛け | 境内 |
山北の歴史
神奈川県足柄上郡山北町山北地区は、JR御殿場線山北駅一体の地域を指して言う。江戸時代には「川村山北」と呼ばれ、小字として「萩原(上・下)」・「馬場」・「田中」・「鶴野」・「清水(上・中・下)」・「堂山」・「文化」・「怒杭」・「宮地」・「根下」・「万隨」・「城山」・「田屋敷」・「台」・「仁道」があった。明治22年(1889年)に「川村岸」と「川村向原」と合併して「川村」となった。
祭礼の歴史
室生神社の例大祭は大きく三つに分けることができ、囃子を乗せて巡行する花車と神輿、そして流鏑馬である。このうち流鏑馬は馬術に巧みな者が選ばれるために特別扱いになるが、花車と神輿は元来は青年団が運営し、青年団は15歳で加入した。
神輿は現在、西回りと東回りとが隔年交替となるが、かつては花車と同じ西回りだけであった。それではカバーできない範囲があるということで、東回りが作られたとされる。また、かつて神輿を担ぐのは各地区二十歳になった者と決められており、山北の青年団は裏方を務めた。そのため、例大祭が終わった翌日の4日に神輿を仕舞うと称して、青年団の者たちが神輿を担ぎ出してしまい、社殿を1周した後に再び町を回った。前日よりも多くの家に立ち寄り、終日担いだといわれる。
昔は多くの縁日屋が3日間ぐらいは室生神社周辺で屋台店を出していたが、現在では例大祭の1日のみの出店になっている。
例大祭の準備
ここでは平成16年(2004年)の日程に従って記していく。9月23日(木)に連合自治会三役と氏子総代との打ち合わせで、概要の確認と神輿渡御の東・西回りの確認などが行われた。続いて10月10日(日)に連合自治会と氏子総代、そして流鏑馬・神輿・花車の各保存会代表者による合同会議が行われ、日程説明や協力依頼および役割分担が決められた。ここで決められた諸役は、先導(連合自治会長、氏子総代総務)・神官係・来賓係・花車警備係兼流鏑馬係・神輿警備係・御祝儀係・御神酒係・受付係・運営係(副連合自治会長)・境内警備係・駐車場係である。また、神輿のお供が平山・萩原を除いた各自治会から2名選ばれる。10月25日頃には花車の点検とグリスアップが行われた。
例大祭の前々日である11月1日(月)の午前8時に関係者が室生神社に集合し、乾杯の後に神輿を出して輪番であたった地区の者がその手入れをし、流鏑馬の的の準備をした。午後には神輿が立ち寄る神酒所などへ笹竹・縄・シメを配送し、各自治会長が担当場所に準備に出向いた。神酒所は若林宅・磯崎宅・山北駅南口・高橋酒店・安戸集会所・堀割橋みそぎ所・萩原地蔵尊・絹華駐車場・山北体育館・山北駅北口・農協山北事業所・東栄建設・垢離取り場・五十嵐酒店の14か所あり、この他に境内でおじやを準備する場所にも神酒所同様に笹竹と注連縄が巡らされる。こうした準備と境内の清掃が終わった16時半には作業が終了し、17時半頃には解散となった。
次に例大祭前日の準備の様子を紹介する。
前日準備 (集合8:00)
ここからは令和元年(2019年)11月2日(土)に行われた例大祭前日の様子を紹介する。午前8時に連合自治会長と副会長および各地区のブロック長、花車保存会が室生神社に集合して準備が行われる。自治会関係者は境内の露天商や駐車場の為のライン引き、神輿のお供の持ち物の点検と用意などを行う。
花車保存会は花車へ彫り物や提灯などの飾り付け、おじや用の釜や調理場の準備を行う。また、太鼓小屋では花車保存会の会員・賛助会員・協力者への法被の貸し出し、大・小花車の役割分担表、手拭、赤・黄の襷、駒札の配布が行われる。
山北駅へ6時半に到着しました | 神輿の神酒所でしょうか |
境内前の直線道路には | 砂が敷かれています |
途中の石碑群には | 幟が上がっています |
沿道には砂の拡散防止の為か | 所々に筵が敷かれています |
弓の防護用の幕の様です | 7時半頃に室生神社に到着 |
流鏑馬用でしょうか | 昨日も準備が行われました |
幟も揚げられています | 扉の開けられた倉庫 |
こちらは流鏑馬用の | 馬の宿舎のようです |
調理場でしょうか | 氏子が集まり始めました |
立派な彫刻飾りです | 重りでしょうか |
神輿庫の扉が開けられ | 木箱を出していく |
お宮の扉も | 開けられます |
拝殿には宮神輿と | 2基分の花傘が |
置かれています | 幣殿にはパイプ椅子が並ぶ |
こちらは祭壇に供える供物 | 集合時間の8時になると |
花車保存会の朝礼が始まり | 最初に会長の挨拶 |
挨拶は続き | 総括副会長 |
総務から準備の説明があり | 各々持ち場へ向かいます |
花車庫では | 扉が開けられ |
扉下の角棒を外して | 花車庫の横へ置く |
太鼓小屋には配布する | 法被が準備されています |
車輪止めを置きこれから | 花車が出されます |
神輿庫前に軽トラックを付け | 木箱を運び出す |
かなりの数です | 花車庫前に停車 |
花車庫前を掃き掃除して | ブルーシートを敷く |
道路側の花車から | 引き出して |
花車庫から出し | 車輪止めを入れる |
軽トラの荷台から木箱を降ろし | ブルーシートの上に並べる |
花車の埃を | タオルで落としていく |
花車の後方に梯子を掛け | 天井に上がり |
箒で掃き掃除 | 提灯が沢山入っています |
炊事場を掃き掃除 | シャベルで溝を掘っていく |
花車では車軸周りをメンテナンス | 天井ではみ出た釘を打ち込む |
ほこり取りを使って | 仕上げの掃除 |
花車の天井に | 万燈を上げる |
国旗も天井に上げ | 前方に突き出します |
花車を曳くロープです | こちらは工具の整理 |
テコ棒が沢山あります | 配膳テーブルの飾り付け |
黄色い晒の木箱は | 小花車用の彫刻が |
赤色の晒の木箱は大花車用の | 彫刻が入っています |
的屋のトラックが入り | 露店の準備をします |
大花車から彫刻飾りを | 取り付けて行く |
御神木では | 紙垂の調整 |
調理場では電気配線作業 | 法被を取りに来たようです |
こんなに沢山彫刻飾りが | あるとは知りませんでした |
明日は露店が沢山出ます | 流鏑馬保存会のトラックが到着 |
社務所裏にはテントを設置 | 太鼓小屋で花車の国旗を準備 |
大きな鍋が2つ出てきました | 配膳テーブルにシートを敷きます |
彫刻には穴が開いていて | 針金で固定します |
太鼓用の座布団を天日干し | 鍋の木蓋を洗う |
テント横にブルーシートで壁を作り | テーブルを設置します |
大花車に続いて小花車でも | 彫刻飾りの取り付け |
こちらはネジでの固定方式 | 裏から蝶ネジで固定します |
花車の出入り口に付く簾です | 境内の至る所に |
白線を引いていく | 境内裏手には通路が設置 |
こちらは杭を打っています | 大きな木べらが出てきました |
鍋を洗い | かまどに乗せる |
こちらは大花車用の国旗 | 前後2本づつで計4本 |
しかし大きいです | 2つ目の鍋も洗浄 |
社務所前のテントにテーブルをセット | 風呂場では榊を保管 |
的屋用の目印の様です | 調理場では板を割り |
竈に入れてガスバーナーで | 火をつける |
廃材や枯れ木を利用します | もう片方の竈にも木を入れ |
火を付けて行く | 鍋に水を入れる |
社務所裏ではパイプ椅子を | リヤカーに積んで移動 |
水を入れて蓋をします | 馬場では紙垂の取り付け |
中央の物置に流鏑馬関係の | 道具が入っています |
社殿からテーブルを出し | 燈籠前に移動 |
10時になると準備を中断し | 社務所前に集まり休憩 |
産地仕立ての足柄茶です | 室生神社に宵宮はありません |
流鏑馬保存会も準備が進む | 巨大なコーンを軽トラに乗せ |
移動します | こちらは忌竹でしょうか |
花車保存会は20分程で | 休憩を終え準備再開 |
馬の宿舎も飾り付け | こちらは当日使う薪です |
提灯を並べ蝋燭を挿す | 簾を晒で固定 |
薪を調理場へ運び | 玉垣の縁へ並べる |
巨大木べらも洗い | 熱湯消毒します |
花車に提灯を取り付け | 内側に簾を掛ける |
鳥居横の櫓に上がると | 椅子が並べられています |
流鏑馬の実況席になるようです | 眺めは最高です |
あちらこちらで | 落ち葉を掃き集める |
社務所裏では薪割り | 切り倒した丸太が積まれる |
こちらは天井が使う | 電線除けの竹竿です |
提灯は数が多く | 本物の蝋燭を使います |
電線除けの竹竿を | 天井へ置く |
天井はこんな感じです | 結構高さがあります |
提灯の下には室生神社 | 花車保存会の紙が垂れ下がる |
集めた落ち葉は | リヤカーで収集 |
薪はかがり火にも | 篝火台を中央に寄せ |
薪は篝火台の下へ積み | 燃え易い枝を入れておく |
黄色い長い晒を | 短く切断 |
赤の晒も短く切断 | 空になった木箱は蓋をする |
社務所の屋根では | スピーカーの取り付け |
太鼓小屋では軽作業 | こちらは無線の準備 |
社務所受付ではリボンの準備 | スピーカーを庇上に上げる |
流鏑馬保存会は晒を折り畳み | 走りながら手で折り目を付け |
半分にして | 小さく畳んでいく |
空の木箱は軽トラへ積む | 花車の天井では |
支柱の竹にロープを | 結んでいく |
木箱を積んだ軽トラは移動して | 神輿庫へしまう |
氏子総代の半纏は灰色です | 結び方が決まっているようです |
天井からロープを下し | 下の方で結び付けられる |
速度調整に使われます | 流鏑馬が楽しみです |
11月の祭礼は少ないですね | 大花車に国旗を固定 |
そして本日の一番の大仕事 | 引き綱の結び付け |
後方から前方へ綱を渡し | 複数人で綱を締め上げる |
指導を挟みながら | 伝統を伝えて行きます |
カケヤを使って緩みを無くします | 最後は反転して仕上げ |
ですが、締めが甘く | 綱を解いてやり直しです |
巻き方にコツがあるようです | 気を取り直して再挑戦 |
緩みを入念に取り | 反転して締め上げる |
ここで緩みがあると巡行中に | 綱が外れて危険です |
小花車でも | 天井に国旗を渡す |
大花車では反対側の | 綱を締めて行く |
こんなに労力が必要だとは | 想像していませんでした |
大花車の次は | 小花車の綱締めです |
12時前に作業を終え | 花車保存会は社務所へ移動 |
引き綱は巻き取って | 花車の中に入れておく |
時刻は11時55分 | 明日は猿田彦が出るようです |
会長の挨拶があり | 昼食を頂きます |
令和元年に因んで | 練習最終日のカレーも頂きます |
昼食を終え | 12時20分頃から順次 |
準備を再開します | 飾りつけを終えた花車は |
小・大の順で | 花車庫に収め |
扉を閉める | 梃子棒の先端を整える |
調理場では煮沸消毒を終え | 大鍋を社務所へ移動 |
明日は早朝3時半から | おじや作りが行われます |
時刻は13時丁度 | 流鏑馬の馬が到着しています |
サラブレッドではなく | 日本の木曽馬だそうです |
神輿殿から長持を出し | 今度は社殿へ移動 |
削り直して形状を整える | 落ち葉集めは念入りに |
蓋と木べらは仕舞われました | 馬には鞍を取り付ける |
人参を食べています | 紅葉台木曽馬牧場から来ました |
太鼓小屋には子供達用の | お菓子類が到着 |
明日は露店が沢山出るようです | 花車庫の扉が閉まりました |
馬の名前はギンジとミチノスケです | 太鼓小屋では締太鼓の |
縄締め作業 | こちらはお菓子の仕分け作業 |
もう直ぐ流鏑馬の | 試走が始まります |
締太鼓は棚にぎっしり | 物凄い数です |
仕分けした子供達のお菓子を | 伴走車に積んていく |
皆さん手慣れている様です | 社務所ではマイクのチェック |
流鏑馬試走 (開始14:15、終了15:10)
14時になると流鏑馬保存会は境内の裏から馬場へ移動し、約1時間掛けて例大祭での流鏑馬神事へ向けて試走を行う。なお、令和元年で使われた馬の名前は先馬が「銀次(ぎんじ)」、後馬が「道之舗(みちのすけ)」である。
祭礼の準備はほぼ終わり | ここからは |
流鏑馬の試走を紹介します | 14時になると |
騎乗者が馬に跨り | 神社の裏手から出発 |
私は鳥居から馬場へ向かう | 馬が北側から馬場へ入場し |
東側へ向かって歩いていく | 私は反対の西側へ向かう |
馬止めの巨大コーンとバーを設置 | 黄色い旗を振ると |
馬がゆっくりと歩きだす | いきなりは走りません |
馬場と馬の感覚を話し合い | 馬場尻で引き返して |
帰りもゆっくり歩きます | 本来は馬場に入れませんが |
試走なので特別に撮影を | 許可して頂きました |
2本目も走らずに歩いて | 感触を確かめます |
馬場尻で歩いて引き返す | お世話になったカメラマンのSさん |
黄色い旗で合図を出すと | 今度は走りました |
初めて見ましたが | 馬って速いですね |
旗振り役は会長さんです | 戻る時は歩きます |
続いて2走目 | 速過ぎて私の安物のカメラでは |
上手く写せません | 馬は再び歩いて戻ります |
試走は3走目 | あっという間に到着します |
ここでトラブルがあり | 馬を止めます |
どうやら紐が緩んだ様です | 背中に弓を背負います |
準備が整うと合図を出し | 馬は歩いて戻っていく |
4走目です | 練習は観客がいないので |
間近で馬を見ることができます | 歩いて引き返し |
今度は5走目になります | 毎回状態を確認し合います |
次が最後になるので私は | 引き返す馬の後を追う |
走る衝撃で落ちた矢を | 花車保存会が騎手に手渡す |
馬は鳥居を通過し | 馬場元で立ち止まると |
Uターンして一瞬で | 消え去りました |
やはり撮影は馬場尻ですね | 侵入防止のロープを外します |
試走を終えた馬は引き返し | 途中で左折して |
入場と同じルートを引き返す | 右の細い道へ入り |
アスファルトの道路に出て | 左折し |
途中で右折 | この細い道は |
境内の裏側に続きます | 社殿横へ進み |
馬の宿舎裏へ | 騎手は馬から降り |
水を飲ませて | 鞍を外します |
花車保存会は馬場の砂慣らし | 体ががっちりしています |
馬を連れ出し | 社務所へ向かうと |
奥へ移動し | 縄を塀へ結び付ける |
奥の流しにホースを繋ぎ | 水で馬の足を洗い |
体は濡れたタオルで拭く | 馬を洗うなんて |
知りませんでした | 馬は社殿横へ戻り |
臨時に設置された宿舎の中へ | 人参をあげます |
夕方準備
流鏑馬の試走が終わると花車保存会は太鼓小屋で直会を開き、法被を取りに来る関係者のために20時頃まで一部の会員が待機する。
流鏑馬の試走で警備を終えた | 花車保存会は15時50分に |
太鼓小屋に集まり | 総括副会長の挨拶 |
乾杯して直会です | 締太鼓の選別作業 |
社務所では明日のおじや作り | に向けて準備開始 |
馬に餌をやります | おじやに入る白菜と |
お米です | 野菜を切り分ける |
鬼道會は神輿の準備 | 私は山北町に一泊するため |
山北町健康福祉センター内にある | さくらの湯の人口温泉に入り |
YAMAKITAバルで夕食をとり | 境内に戻り太鼓小屋で就寝 |
おじや作り (開始3:30)
ここからは令和元年(2019年)11月3日(日)に行われた例大祭当日の様子を紹介する。例大祭当日はまだ夜が明けない午前3時半に、花車保存会の役員と炊事関係者が室生神社に集合しておじやが作られ、集まった関係者に振る舞われる。おじや作りはまず大鍋2基に湯を沸かし、具材として米・野菜・だし・酒・味噌・豚肉の順で投入する。味見は花車保存会会長が最終判断し、最初に氏子総代の食分(8名分以上)を鍋に盛って引き渡したのち、順次祭典参加者に配布していく。
昭和34年(1959年)の山北囃子の中絶以前は、午後3時から流鏑馬の終点(馬場尻)近くにある旧家の若林宅に行き、そこでおじやの支度をした。囃子の子供達はまず若林宅でおじやを食べた後に神社へ向かった。おじやはみそ仕立てで現在は豚肉を入れるが、かつては焼き秋刀魚の身を入れたという。なお、現在のおじや作りの場所は単に水道の位置で決まったといわれる。
4時丁度になると火のついた薪を拝殿前に置かれた篝火台2基に運んで火がつけられる。4時10分頃になると拝殿内に安置されている花傘を外へ出し、社殿に向かって右側に小花車用、左側に大花車用の花傘を置く。太鼓の子供たちの集合時間は4時45分であるが、幼少児は花車の最初の休憩場所である山北町役場への到着に合わせて6時半に集合となっている。花車保存会の一般会員と協力者は5時が集合時間となっており、5時になると花車の提灯の蝋燭に火がつけられる。
5時10分頃からは神社の石段に並べられた太鼓で、子供たちによって寄せ太鼓が演奏され、祭りの開始を知らせる。演奏される曲は囃子のみで5分ほどで終わり、演奏終了後は記念撮影が行われる。寄せ太鼓に使われた小太鼓は休憩場所での発表演奏に使用されるため、伴走車に積み込まれる。5時半からは祭典参加者のうち希望者が拝殿前に整列して、宮司から特別お祓いを受ける。
3時過ぎに起床しました | まだ外は真っ暗です |
3時30分に人が集まり始め | 調理場の照明が点灯 |
社務所の明かりもつきます | 太鼓小屋では半纏の帯締め |
流石に寒いです | 台所の電気も点灯 |
竈に薪と小枝を入れて | 火を付けて行く |
社務所の裏口へ回り | 調理器具や |
食器などを運び出す | 火力が強くなってきました |
食材も運ばれます | 大鍋が出てきました |
かがり火の準備を開始 | 日本酒で乾杯し |
体を温めます | 社殿の扉が開けられる |
小太鼓を運び出し | 花車庫へ |
的が社殿から出されます | 馬も境内で一泊しています |
大鍋を竈にのせ | 水を入れると |
最初に | お米を入れます |
よくかき混ぜ | 続いて袋に入れた |
刻んだ野菜を投入 | 巨大木べらでかき混ぜます |
蓋をして暫く煮込む | 味付けは味噌の様です |
続いて顆粒の | だしを投入 |
酒を入れる | 大太鼓も花車庫へ移動 |
味噌は一度水に溶いてから投入 | 4時になると篝火が点火され |
花車保存会は社殿へ向かい | 社殿に安置されている神輿を |
幣殿側にズラし | 右手の大花車の花傘から |
畳んで | 拝殿から外へ出し |
階段の段差を利用し | 大傘に小傘を差し込んで |
社殿向かって左手で広げる | 続いて左手の小花車の |
花傘を畳んで | 社殿から出し |
小傘を大傘に差し込んで | 社殿向かって右手で広げる |
神輿を元の位置に戻し | 花車保存会は外へ出る |
花傘が社殿前に並びます | 社務所の受付でも準備開始 |
焦がさないように煮込みます | 燈籠付近ではライトアップ |
鬼道會も神輿の準備を開始 | 式典用のテーブルを設置 |
調理場では最後に | 豚肉を投入し |
焦げ付かないように | かき混ぜながら煮込んでいく |
4時半頃になると石段に | 茣蓙を敷いて小太鼓を並べ |
大太鼓は石段の上に設置 | 人手が増えてきました |
子供達が集まり始めました | 4時40分におじやが完成し |
小鍋に取り分けて | 社務所へ移動 |
台所へ向かい | 氏子総代へ渡します |
おじやを紙の器によそい | 参加者に渡していく |
寒いので熱々のおじやは | 体が温まります |
列に並び私も頂きました | 漬物も用意されています |
おじや作りが終わると | 花車庫へ移動し |
花車の提灯のローソクに | 火を付けて行く |
具が沢山入って美味しいです | 空になった鍋に水を入れる |
子供達が階段へ向かい | 5時10分からは寄せ太鼓 |
5分ほど演奏します | 大太鼓と笛は上で演奏 |
演奏後は記念撮影をし | 太鼓と茣蓙を片付け |
大太鼓は花車庫へ移動し | 大花車内へ戻す |
5時30分頃になると社殿前で | 特別お祓いが行われる |
このあとは花車出発式へ。
川村囃子(山北囃子)
山北町山北の「川村囃子(山北)」は昭和50年(1975年)7月17日に同じ山北町岸の「川村囃子(岸)」と共に、山北町の無形文化財に第一号として指定され、現在では向原を加えた3地区で川村囃子が伝承されている。それぞれの地区の保存会の正式名称は「川村岸囃子保存会」・「川村囃子山北保存会」・「向原川村囃子保存会」で、伝承された順番もこの通りである。
●囃子の歴史
昭和の終わり頃の火事によって社務所が焼失したために、由来等についての詳細は不詳であるが、口碑としては囃子が江戸時代末期に、花車が明治時代初期にもたらされたとされている。囃子は江戸の神田囃子が旧足柄村(現小田原市)多古の白山神社に伝わったのが江戸時代中期と言われ、そこへ岸から囃子を習得に通った者がおり、岸へと伝えられて「岸囃子」が生まれた。やがてその岸から山北へ婿入りした尾崎友吉氏が山北へと囃子をもたらし、「山北囃子」が誕生した。なお、古くは花車の上で舞を舞ったとも、人形浄瑠璃を演じたとの伝承もある。明治期には舞を関鳶五郎、鼓を瀬戸浅次郎、三味線を和田惣五郎が行ったと言われている。
山北と岸とは同じ由来を持つ囃子であるが、岸が平均してゆっくりとしたテンポであるのに対し、山北は上り坂ではテンポを速く、下り坂ではゆっくりといったように、山北の地形に適応したスタイルに改良された。また、リズムの刻み方もやや異なり、この他にも岸が「シホーデン」と称するのに対し、山北では「ショウデン」と称している。
このように元来は囃子の名称も「山北囃子」として「岸囃子」と区別していたが、昭和34年(1959年)に山北囃子の伝承母体である青年団が消滅した為、室生神社例大祭での花車巡行も消滅し、僅かに小正月の道祖神祭にその名残を留めているに過ぎなかった。しかしながら、昭和42年(1967年)の明治100年を記念して復活し、この復活には昭和10年代に青年団であった者が中心となった。翌昭和43年(1968年)に佐々木勇氏を会長に花車保存会を結成し、昭和50年(1975年)7月17日には山北町の無形文化財の指定を受ける際に、山北囃子は岸囃子と共に名称を「川村囃子」として統一された。
現在では山北から教えられた向原でも川村囃子保存会が結成され、山北囃子は近隣地区にも大きな影響を与え続けた。例えば昭和34年(1959年)の中絶以前には10月初めから1ヶ月程度、鶴野の観音と萩原の地蔵へ山北囃子から囃子を教えに出向き、その中から上手な者だけが室生神社の例大祭で花車に乗ることができた。各地区の囃子方が競争心を持つことから、上達も早かったという。また、この囃子は小正月の道祖神祭にも演奏され、道祖神祭には各地区から花車と神輿が出て町内を巡行するが、この時に各地区の練習の成果が披露される。
かつては例大祭で囃子に携われる者は男子のみで、囃子の練習はできても本番は男子に限られていた時代があったようである。元号が平成に変わるころから女子も参加するようになり、現在では山北保存会の子供たちの7割弱が女子である。なお、花車保存会には女性の会員は一人もいない。
●曲の構成
曲目は「囃子(はやし)」・「昇殿(しょうでん)」・「神田丸(かんだまる)」・「鎌倉(かまくら)」・「四丁目(しっちょうめ)」の5曲で構成され、通しの演奏はこの曲順で演奏して最後に囃子で終わる構成になっている。通しで演奏すると基本的に演奏時間は20〜25分程度になるが、繰り返し部分などを多くすれば演奏時間は長くなる。
囃子は「屋台囃子」のことを言い、「屋台」とも略され、宮出しや宮入り時、そして上り坂でも使われる威勢の良い曲である。反対に昇殿はゆっくりした曲で、花車の速度を落とす必要のある下り坂などで多用される。なお、岸ではこの曲を「シホーデン」と称している。また、神田丸は「神田」と称したり「神田囃子」と呼ばれることが多く、鎌倉は「鎌倉囃子」とも呼ばれる。四丁目は「しっ」と促音化していることから「七丁目」とすることもある。
囃子 (はやし) |
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●楽器の構成
室生神社にはともと締太鼓である「小太鼓(コード)」が計6個、「大太鼓(オオド)」が計2個、「摺鉦(スリガネ)」が計3個あり、小太鼓で記年銘があるものには明治13年(1880年)のものがある。この数では練習時に不足するため、道祖神祭の太鼓を各地区から借りて練習に使っていたというが、現在では小太鼓を20個ほど所有している。花車での構成は小太鼓5個・大太鼓1個・摺鉦1個で、笛は山車の外で歩きながら吹くことが多い。本来は小太鼓が3〜4個であったが、保存会の会員が増えていることもあり、できるだけ多く花車に乗れるようにと現在では5個になっている。
大花車での配置 | 小花車での配置 |
演奏時の花車の室内 | 鉦は歩きながら演奏 |
笛は花車内と | 歩きながらでも演奏 |
小太鼓には最初に叩き始める「アゲダイコ(通称アゲ)」が決められている。囃子全体の指揮役は笛で、基本的に太鼓をマスターしていなければ笛を吹くことは困難である。したがって、囃子の入門者は小太鼓→大太鼓→摺鉦→笛と進み、楽器の中で笛が最も難易度が高い。また、現在は保存会の会員数が多いため会員だけで花車に乗っているが、かつては各地区の子供たちも乗っていた。小正月の道祖神祭に花車が出る地区はそれぞれに囃子を練習しており、そこで上手に演奏できる子供たちが選抜され、室生神社の例大祭で花車に乗って叩くことができた。
●継承育成と発表会
川村囃子山北保存会は囃子の継承育成の活動として、やまきたこども園や川村小学校たいこクラブへの出張指導、特別夏期囃子練習などを行って裾野の拡大を図っている。特別夏期囃子練習では太鼓・笛の上達を目的に、中学校の生徒と小学校の中・高学年の子供たちを15名程度に限定し、生涯学習センターで19時30分から21時まで練習を行う。会員は練習の前日に小太鼓の綱締めを行い、練習が終わった後には綱を緩める作業を行う。
練習成果の発表の場としては春のやまきた桜まつりや夏のこどもコンサート、向原川村囃子への応援出演などがあげられる。子供たちにとっては室生神社の例大祭が最大の披露の場となっており、花車巡行中に花車に何回乗れたかが一番の関心ごとになっている。
アゲダイコで演奏開始 | 山北駅前での披露演奏 |
花車
室生神社には大小2基の花車(かしゃ)があり、建造時期は定かではないが明治時代初期頃と考えられている。現在は花傘の腰巻(内布)と曳行要員の襷の色を大花車(おおがしゃ)が赤色、小花車(こがしゃ)が黄色と決めているが、かつては毎年色を交互に変えていた。花傘は花車の天井を飾るもので、天井の中央には床まで突き抜けた竹筒があり、その竹筒に花傘の柄を差し込んで巡行を行う。
大花車(正面) | 大花車(側面) |
小花車(正面) | 小花車(側面) |
大花車(巡行時) | 小花車(巡行時) |
花車庫 | 花傘の柄を通す竹筒 |
項目 | 単位 | 大花車 | 小花車 |
腰巻と襷の色 | ― | 赤 | 黄 |
総重量 | [kg] | 2,600 | 2,400 |
幅(欄干) | [mm] | 2,630 | 2,660 |
奥行(欄干) | [mm] | 3,915 | 3,700 |
高さ(屋上床面) | [mm] | 2,700 | 2,630 |
車軸径 | [mm] | φ90 | |
車輪径 | [mm] | φ450 |
※花傘(笠鉾)を乗せると高さは5,400[mm]
以下に、花車に関係する用語を解説していく。
●先導
先導とは花車の巡行コースに沿って引き綱の先頭に立ち、引き綱がたまるまないように注意しながら先導する役である。
●引き綱と根綱(ねづな)
引き綱は花車を曳く為の縄のことで、根本の紅白に編んである太い縄の部分を根綱と呼ぶ。根綱を左右に広げて前梃子が花車を操作し易いようにしたり、曲がり角では前梃子に協力して曲げる側の根綱を横に強く引く。花車を動かすには大人が各25名程度必要となる。
引き綱 | 引き綱を曳く |
根綱で花車を振る | 休憩場所では引き綱を巻く |
●前梃子(まえでこ)
花車の方向転換の方法はハマ(車輪)の下に梃子を入れることであり、前梃子は常に花車の正面に着いて梃子を前輪に噛ませることで舵を取り、曲がり角では脇からも梃子を入れることがある。かつては前輪に梃子を当てるのが普通であったが、近年になり後輪に当てた方がスムーズに回ることが分かってきた。従って、カーブの手前から少しずつ梃子を当てて緩やかなカーブで曲がっていくが、それでも花車の方向転換は道路の真ん中まで行って回す方が良いという者もあり、その場合は前梃子を入れて力の限り引き回す。
馬場や神社境内などの足場の悪い場所では花車の土台に梃子をかませ、てこの原理で花車の方向を変える時もある。最後の宮入りでは引き綱を使うスペースがないため、てこの原理と直接花車を手で押す力技になるが、時には梃子の棒が折れることもあり、その迫力は非常に見応えがある。
正面から梃子を入れる(郵便局) | 脇から梃子を入れる(消防小屋) |
土台に梃子を入れる(馬場) | 直接手で花車を押す(境内) |
梃子棒 | 先端の修正 |
かつては青年団が花車の管理を行い、前梃子を除く全ての役を担っていたが、花車の舵取りをする前梃子だけは決められたベテランが担っていた。例大祭の早朝午前2時半頃に青年団の者が梃子の担当者を迎えに行き、少しでも遅れようものなら怒鳴られたという。この梃子の役には花車の前にいる前梃子と後方の左右につく追梃子があり、中でも前梃子を務める者が最も権威が高かった。前梃子は花車の正面に座って「右ひとつ」・「左ふたつ」といったように梃子を入れる指示を出し、追梃子もこの指示がなければ梃子を入れることはできなかった。
●追梃子(おいでこ)
上り坂では花車を後押しし、傾斜のあるカーブでは横綱、下り坂では後綱を張る。曲がり角では前梃子とタイアップして後輪に梃子を入れることもある。宮出し・万隨坂・ガードなどでは、降ろされた花傘を花車の後ろに付いて運搬する。
後綱を張る(万随坂) | 横綱を張る(御殿場線ガード) |
後輪に梃子を入れる(山北橋) | 花傘を運搬(御殿場線ガード) |
●天井(てんじょう)
天井は花車の上で竹竿を持って電線などを押し上げる役で、電線や立ち木などから花車と花傘を守り、電柱などの障害物を察知したら前梃子に伝える。万随坂やJRのガードでは花傘を追梃子の人に渡し、欄干を畳んで万燈を横に倒す又は下に降ろしてから花車から降り、通過したら天井に上がり、花傘などを元に戻す。しかし、電線がこれほどまでに張り巡らせていない時代にはこの役はなく、事前に引っかかりそうな木などを切るように頼む程度であった。
屋上に上がる2人の天井 | 竹竿で電線を押し上げる |
花傘を抜き取る | 欄干を畳む |
万燈を降ろす | 花傘を受け取る |
●ハマ(車輪)
花車の車輪をハマと呼び、欅(けやき)で作られている。元々は中心をくり抜いて軸に嵌めていただけであったため、遊びがある分花車の方向転換もやり易かった。近年はハマの周囲に金属の輪を嵌め込んでいるために転換はし難くなっている。
小花車のハマ | 大花車は鉄の輪を嵌め込む |
丸く成形された車輪 | 成形前の角材 |
●万燈
万燈は花車の天井で花傘を支えるもので、その四面には「室生神社」・「五穀豊穣」・「国家安全」・「天下泰平」が書かれている。
●花傘(傘鉾)
花車に立てる花傘(はながさ)は構造的には和傘を大きくしたもので、中心に竹の柄があり、そこを上下する轆轤(ろくろ)から40本の骨を支える支柱が放射状に伸びている。その周囲にオシメと呼ばれるシデが骨の数と同じ40枚下がっている。それを取り巻くようにして通常コシマキ(腰巻)と呼ばれる布(晒)が下がるが、これが大花車用の花傘では赤色、小花車用の花傘では黄色となる。さらにその外側にザンザラと呼ばれる色紙を重ねて折り、紙紐を通した花が吊るされ、最外端に銀色の球とフサが下がる。フサは現在色付きのビニールひもを利用している。花傘を開いた際にその先端部分にもう一つ小ぶりな傘を差し込んでいる。この小傘は骨数が22本になるため、各々の飾りの数が減る以外は大傘と同じ構成で飾り付けが行われれる。飾り付けは10月20日〜28日頃にかけて行われる。
花傘(大花車) | 花傘(小花車) |
大傘 | 小傘 |
大傘は折り畳める | 小傘を大傘に差し込む |
花 | ザンザラ |
花傘のデザインは | 配色列図で描かれる |
大傘の表面にはカラフルな紙の花が骨一本につき11個ずつ、小傘には6個ずつ付けられて花傘を飾っている。ザンザラまでは伝統的な意匠であるが、花とフサはその年の若手メンバーによって配色などが決められる。かつて色紙が一般的でなかった頃は白い半紙に霧吹きで色を吹き付けて使っていた。また、さくら紙8枚を手で蛇腹状に折り畳み、折った中央を針金で巻いて一枚一枚紙を開いていたが、現在では製品名「花子さん」という折り機を使用する。さくら紙8枚を載せて蓋をしレバーを上下させるだけで瞬時に蛇腹状に折りたためる。それでも大小の花車用の大傘二張の各40本の骨、大傘の上に載せる小傘二張の各22本の骨の上を飾る花は合計で約1,200個必要であり、全てを蛇腹状に折って針金で止めて手で開くことは大変な作業である。
かつては例大祭前夜に青年団が花傘を山北駅よりも西側にあった高橋酒屋(高優)まで持って行って安置した。例大祭当日に花車が午前4時半に室生神社を出発し、5〜6時頃に高橋酒屋の前に到着するとここで花傘を取り付け、花車として各地区を巡行していた。
●彫刻
花車を飾る彫刻は普段は花車から外されて木箱に保管され、例大祭の前日に花車に取り付けられる。現在、花車の彫物は山北町在住の木彫工である蘭二朗氏によって修復が行われている。修復の手順は先ず古い塗装や金箔を全て剥がして彫刻だけの状態に戻し、彫刻に下地を塗ってから漆を塗り、金箔を貼り直して、膠(にかわ)で溶いた顔料で塗装する昔の技法を採用している。
花車への固定方法は彫刻と花車に開けられた穴に針金を通し、花車の内側で結んで固定しているが、修復された彫刻はネジで固定できるように改良されている。修復は小花車から行っており、終了後は大花車の修理を実施する予定である。
彫刻は木箱に保管される | 布や新聞紙で包まれる |
修復された小花車の彫刻 | 塗装がされて綺麗になっている |
彫刻に開けられた穴に | 針金を通して固定 |
修復された彫刻の方はネジで | 固定できる様に改良されている |
●伴走車(ばんそうしゃ)
御旅所(休憩場所)に奉納演奏用の小太鼓と太鼓台、茶菓子等の飲食物を花車に先行して運搬する。
●室生神社花車保存会
室生神社花車保存会は昭和43年(1968年)11月の会則施工から、平成30年(2018年)で創立50周年を迎えた。花車巡行は環境の変化に応じて対応してきているが、基本的には昭和43年当時の仕来りを風習している。保存会の活動は室生神社の例大祭での花車巡行以外にも、12月31日の大晦日から1日1日の元旦の初詣での豚汁準備がある。31日の昼過ぎから社務所前で具材(大釜二口分)を洗い、皮をむいて切り刻む。18時にいったん解散して22時に集合して仕込みに入り、1月1日になって大太鼓が打ち鳴らされると、初詣客への「明けましておめでとうございます」の声と共に保存会が豚汁を、商店振興会の有志が甘酒を振る舞う。初詣客が退いて有志が帰宅するのは午前3時頃になる。
神輿
室生神社神輿 | 神輿庫 |
鬼道會神輿 | 神輿庫 |
花傘の飾り付けと囃子練習
室生神社の例大祭の花車巡行に向けて10月20日から花傘の飾り付けと川村囃子の練習が行われる。花作りは社務所内で行われ、囃子の練習に来ている子供を送迎する母親たちが、練習終了までの待ち時間を利用してさくら紙を開く作業を手伝う。開いた花は拝殿に持ち込み、立てられた傘の骨に4名の会員が括り付ける。
花が飾り付け終わると次に傘の骨の内側を飾るものとして、オシメ・腰巻・ザンザラ、骨の先端に括り付ける金色の玉とフサがある。腰巻以外はそれぞれ300個、ザンザラはその5倍の1,500個が必要になる。花傘完成の日には会員間で慰労会の直会が行われる。
川村囃子の練習開始日は飾り付けと同じく10月20日からで、終了日は10月31日なる。囃子の練習は19時から20時半までで、途中で休憩を入れる。練習は室生神社境内の太鼓小屋などで行うため、事前に周辺自治会に練習開始の回覧をする。近年の継承育成の甲斐もあり、囃子の練習には園児から大学生までと年齢層と参加人数が増えている。太鼓小屋ではある程度太鼓が叩ける小学校の中・高学年が、隣に仮設ししたテント小屋(10月19日までに設置)では小学校の低学年を中心に、そして社務所内の畳の部屋では園児たちが太い竹を太鼓代わりにして練習する。
10月30日は練習後に子供たちへの法被の貸し出しと、大小2基の花車のどちらに付くかの発表が行われる。園児そして小学校1年生から6年生と並んでもらい、背丈に応じて法被と帯を貸し出す。法被の紛失を防止するために名前と法被の番号を記録する。練習の最終日である10月31日は子供たちにカレーが振る舞われ、会員が前日から仕込みを行う。
なお、川村囃子山北保存会会員を含めた子供たち(園児以下を除く)はボランティア保険(例大祭当日を除く)に加入しており、例大祭当日は室生神社側で保険に加入している。
18時半に室生神社に到着 | 社務所の玄関が開き |
社務所の広い和室では | 道具箱を開け |
折り紙と紙紐を出し | ザンザラ作りが始まる |
太鼓小屋では19時から | 太鼓の練習が始まる |
正面には譜面を掲示 | 仮設のテントでは小学校低学年を |
中心に太鼓を指導 | こちらも正面に譜面が張られる |
拝殿には左手に大花車用 | 右手には小花車用の花傘 |
花作りは既に終わっています | こちらは大量のザンザラ |
テーブルには飾り付け前のザンザラ | 小傘に黄色の腰巻を付ける |
4人の会員が | 飾り付け作業に当たります |
こちらが令和元年の花傘の | 色配列図になります |
特別に花車庫内を | 見せていただくことに |
奥にはハマ(車輪)の木材が | 右手の壁には沢山の梃子棒 |
社務所入口の右手の和室では | 園児に指導 |
竹を叩いて練習します | 社務所ではザンザラ作りが進む |
完成したザンザラ | こちらはスズランテープでフサ作り |
花傘飾りが行われる拝殿 | こちらが太鼓小屋 |
太鼓小屋の裏の仮設テント | 大人が鉦と笛そして大太鼓を |
担当して子供たちを指導 | テケテンテレンガテンテコマッタン♪ |
大太鼓は木枠で固定 | 小太鼓の台はこんな形状です |
小花車用の大傘にフサを | 大花車用の小傘に腰巻を |
飾り付けは終盤に差し掛かる | 完成が楽しみです |
大人の会員も指導と | 練習をします |
仮設テントでは練習を終了 | 小太鼓の縄を緩める |
20時半頃に太鼓小屋でも | 練習を終えて片付けを開始 |
練習を終えた子供たちには | お菓子を配布します |
手慣れた手付きです | 小太鼓を小屋の隅へ集める |
拝殿の扉が閉められる | 仮設テントからは太鼓や |
台を運び | 太鼓小屋へ集めます |
作業を終えた花車保存会は | 社務所で直会 |
室生神社の流鏑馬
「室生神社の流鏑馬」は平成7年(1995年)2月14日に神奈川県の無形民俗文化財に指定され、山北町山北の宮地に所在する室生神社に伝わるものである。起源は源頼朝の石橋山挙兵の際、現在の山北町一体を所領していた河村城主の河村義秀(かわむらよしひで)が平家方に味方したために、領地を没収されて斬刑に処されるところであったが、鎌倉で行われた流鏑馬の妙技により刑を免ぜられ、旧領に復帰できたという故事(『新編相模国風土記稿』・『吾妻鑑』)によるとされている。 故事では鎌倉で流鏑馬が行われたのは建久元年(1190年)とされ、義秀が旧領に復帰した翌年から室生神社の流鏑馬が始まったとすれば、現在まで約800年余り続いていることになり、平成2年(1990年)には流鏑馬800年祭が行われている。
馬の像 | |
倉庫 | 流鏑馬神事の由来 |
室生神社には和鞍が4背伝わっており、うち3背にはそれぞれ寛永12年(1635年)・万治3年(1660年)・寛文6年(1666年)と記されており、神奈川県指定の附(つけたり)となっている。これらの鞍は山北町生涯学習センター2階の展示ホールに展示している。室生神社の流鏑馬は農家の人々により受け継がれていた時期もあり、かつては的の当たり矢によって翌年の稲作を占う神事としても行われていた。三つの的は一の的が早稲、二の的が中稲、三の的が晩稲の出来を表していた。
室生神社の流鏑馬の特徴は露払いの先導と射手の2頭立てで騎射が行われることで、先馬の騎乗者は的に近づくと軍扇を揚げて露払いをし、続く後馬の騎乗者が3つの的を順に射ながら馬場を走り抜ける。流鏑馬が行われる馬場は室生神社の参道で長さが340mあり、普段は舗装道路のため例大祭前々日の11月1日に自治会が協力して1日がかりで砂を敷き詰め、例大祭翌日の11月4日に砂を撤去する。
流鏑馬の馬場 | 両脇には注連縄と旗が張られる |
砂が広がらない様に | 所々に筵が敷かれる |
弓の防護幕 | 鳥居横の実況席 |
宮地地区の石碑群には | 幟が上げられる |
他社で行われている流鏑馬行事のほとんどは専門家に依頼するが、室生神社の流鏑馬は氏子自身が馬に乗って矢を引くことが最大の特徴で、騎乗者は山北町生まれで山北町在住が絶対条件となっている。騎乗者は毎年9月初めに神社氏子総代から依頼を受けると精進・潔斎に入る。神事の約1週間前には小田原市の御幸浜(みゆきがはま)の海岸で関係者と一緒に心身を浄め、以後は自ら精進の料理を作って食べ、身を慎んで過ごして当日を迎える。当日は朝7時に室生神社へ行って装束に着替えると、流鏑馬を終えて神事で終了報告をするまでは地面に足を着けることは許されない。そのため、社殿へ上がる時や騎射で射手が交代する時には、お付きの者が用意する長持を踏み台にする。
流鏑馬の的は3つ用意され、それぞれ「一ノ的」・「二ノ的」・「三ノ的」と書かれている。的は大きさが3尺(90cm)四方の杉板で、長さ9尺(2.72m)の棒に取り付けられ、的持ちと呼ばれる男性が持って支える(現在は危険があるため支柱で固定)。的持ちは世襲で、山北町内の3軒の家の男性がそれぞれの的を代々担当している。なお、的の材料は室生神社の元宮にあたる山北町中川の大室生神社から送られ、的持ちが組み立てている。現在、山北町中川より収められている的は、以前は神縄と交代で奉納していたといわれている。
花車出発式 (開始5:35)
5時35分になると室生神社の宮司を祭主として花車の出発式が行われる。寄せ太鼓が演奏された階段前に祭壇が設置され、氏子総代をはじめ花車巡行の関係者は参道の両側に向かい合わせで整列する。社殿に向かって左側に式典進行役の花車保存会の総務・会長・顧問・相談役・総括と赤色の襷をかけた大花車の責任者および会員と協力者が、右側には氏子総代総務・山北連合自治会長・山北町長と黄色の襷をかけた小花車の責任者および協力者が並ぶ。
祭壇に向かって一同が拝礼した後、宮司による修祓・献饌・祝詞奏上・玉串奉奠に続き、氏子総代総務・山北連合自治会長・山北町長・花車保存会会長の順で玉串奉奠が行われる。玉串奉奠が終わると幣束の授与が行われ、宮司から大小それぞれの花車責任者が幣束を受け取ると、それぞれの花車の入り口上部に麻紐で結びつける。なお、この幣束は翌年の祭典前日までは外さない。その後は氏子総代総務から順番に祝辞が述べられ、最後に花車保存会会長の挨拶があると、花車保存会総括から諸注意が説明される。
花車保存会の相談役(五代目会長)の挨拶で御神酒で乾杯し、最後に相談役(六代目会長)の手締め(山北締め)で出発式が終了となる。
花車巡行の関係者は2列に並び | 花車の出発式が執り行われる |
一同拝礼後に宮司によるお祓い | 献饌に続き祝詞奏上 |
まだ空は薄暗いです | 続いて宮司から玉串奉奠 |
氏子総代総務 | 山北連合自治会長 |
山北町長と続き | 最後は花車保存会会長 |
続いて幣束の授与 | 祝辞も氏子総代総務から |
続いて山北連合自治会長 | 山北町長 |
続いて花車保存会会長の挨拶 | 少し明るくなってきました |
こちらはお神酒の準備 | 総括副会長から注意事項説明 |
相談役(五代目会長)の挨拶で | 乾杯 |
最後は相談役(六代目会長)の | 山北締めで出発式が終了 |
花車宮出し (出発6:00)
出発式が終わると直ぐに花車庫の扉が開かれ、花車が宮出しされる。宮出しの順は拝殿側の花車が先になるが、これは左手前にならないように花車庫に向かって右側の花車を先に宮出しすることを、先人から厳しく言い伝えられているという。
鳥居を円滑に通過するためには花車庫からまっすぐ境内東側に引き出し、鳥居のセンターラインと花車が直角に交わる地点で右に90度回して鳥居へ向かう。鳥居を出た花車は馬場の中央で更に右に90度旋回し、西へ向かってすぐに停止する(花車巡行は西回りのみ)。拝殿前に置かれていた花傘はそれぞれの花車の直後に付き添い、鳥居を出た先で花車天井の所定の位置に備え付けられる。
花車庫の扉を開き | いよいよ宮出しです |
引き綱を前に伸ばし | 拝殿側の小花車から引き出し |
一旦止めると | 右に方向転換し |
6時丁度に鳥居を潜り | 宮出しです |
ガードレールぎりぎりまで寄せ | 西側に方向転換 |
花傘は手持ちで宮出し | 直ぐに小花車を止め |
梯子を掛けて | 天井に上がります |
塩ビ管に花傘の柄を入れ | 天井に渡す |
境内では大花車を曳き出し | 鳥居前で止めて |
90度に方向転換 | 小花車に花傘が載せられる |
大花車も宮出し | 馬場に出て右に90°旋回 |
花傘も鳥居を通過し | 天井が梯子で上がり |
花笠を手渡し | 中心に固定すると |
両側の引き綱に曳手がつき | 大花車が出発 |
道祖神と違い足元が砂なので | 車輪への抵抗が増えます |
待機していた小花車も | 動き出します |
このあとは2基の花車が西回りで町内を巡行し、大花車・小花車に随行する諸役は次の通りである。花車責任者各1名・相談役各2名(1名)・天井各2名・引き綱各5名程度・根綱各5名程度・前梃子各3名程度・追梃子各2名程度・子供世話役各2名・自治会役員各2名。かつては有志の個人宅で神酒所を開いたため立ち寄る所が多かったが、現在は自治会でやるようになったため神酒所の場所が固定されるようになった。
※花車巡行の様子は下記の花車巡行の前半と後半を参照。
花車巡行(前半)
花車巡行(後半)
休憩場所 | 到着 | 出発 | 備考 | |
0 | 室生神社 | ― | 6:00 | 万随坂手前で花傘外す |
1 | 山北町役場 | 6:30 | 6:50 | 花傘を取り付け |
2 | 樋口橋 | 7:45 | 7:45 | 折り返しのみ(休憩なし) |
3 | 萩原地蔵尊 | 8:00 | 8:45 | 朝食と太鼓演奏 |
4 | 山北駅北口 | 9:05 | 10:05 | 太鼓演奏と記念撮影 |
5 | JAかながわ西湘 | 10:30 | 11:10 | グリスアップと太鼓演奏 |
6 | 室生神社 | 12:10 | ― | 宮神輿宮入後に花車宮入 |
※上記の時刻は予定ではなく、実際の時間を5分刻みで表にまとめた。
例大祭式典
室生神社の社殿では例大祭の式典が執り行われる。
神輿宮出し (出発8:30)
室生神社の神輿は11月3日の例大祭に氏子中の希望者二十数名に担がれる。本殿での儀式後に神輿に神官が御霊遷しを行い、白衣・鉢巻・白足袋姿の若者が威勢よく拝殿を降りると、社殿を三周して鳥居を潜り渡御に移る。
神輿渡御
神輿渡御の行列は露払い・猿田彦・神輿以下各随員・神官・警護等が続き、流鏑馬の射手も正装乗馬で加わる。神輿と流鏑馬の行列は東回りと西回りを隔年で行い、西暦の偶数年にあたる東回りの年だけは山北駅で花車と交差する。山北駅では太鼓の奉納演奏を行った後、神輿が駅前広場に到着する寸前から花車の間に鎮座するまで、囃子のみで太鼓を叩いて神輿を迎える。神輿と流鏑馬そして花車が揃ったところで記念撮影が行われる。交差する年は神輿と流鏑馬が太鼓の演奏に送り出されて先に出発する。
山北の住民は元禄16年(1703年)の元禄地震、宝永4年(1707年)の宝永大噴火で塗炭(とたん)の被害に陥り、その普及の為に皆瀬川の瀬替えや川入堰(かわいりせき)の開さく等、先人の努力によって大治水工事が成し遂げられた。室生神社神輿はこの堀割で浜降祭を行うが、かつては神輿が皆瀬川に降りて担ぎ手は水を浴びて心身を浄めた。しかし、東名高速道路の工事用道路の建設に伴い、堅固な擁壁ができたために川に降りられなくなった。現在の浜降祭は近接地に青竹四本を立てて注連縄を張り、中央に神輿を据えて神饌を供え、神官の祝詞の後に供奉の代表がそれぞれ玉串を捧げている。
浜降祭場 | 解説(山北町教育委員会) |
宮神輿宮入り (鳥居通過13:45、宮付け)
花車は神輿が来るまで鳥居前で待機し、神輿の宮入り後に花車の宮入りとなる。花車はあくまでも神輿の先触れであり、宮入り時は神輿を優先させることで神輿に従う形式をとる。
神輿が馬場に入ると花車では迎え太鼓として囃子を速い調子で演奏し、花車保存会は鳥居前に陣取って神輿の到着を待つ。神輿は馬場元で一旦輿をおろし、5分程度休憩を取ると馬場を鳥居へ向かって練り歩くが、直ぐには宮入りせずに鳥居前を通過する。神輿は直ぐに引き返して宮入りを目指すが、鳥居前では花車保存会が神輿の宮入りを阻止することが昔からの伝統となっている。かつては神輿を三度押し返したというが、現在では二度押し返す様が決められており、三度目でようやく宮入りとなる。花車保存会が神輿を押し返す時は神輿に手を触れることは禁じられており、身体を使って神輿の担ぎ手を押し返し、これが例大祭を盛り上げている。
東側から神輿が姿を現す | 猿田彦も先導しています |
神輿を一旦おろして5分程 | 休憩を取ると手締めで |
神輿を担ぎ上げ | 神輿の行列が出発 |
予想以上に速く移動します | 花車の右横を通過し |
宮入りせずに鳥居前を通過 | 後続の隊列は途中で右折 |
神輿は西へ進んで行く | 鳥居前に緊張が走ります |
神輿は引き返すと鳥居前を | 通過して花車へ突っ込んでいく |
花車保存会は神輿を押し返し | 時計回りに反転した神輿は |
西へと引き返していく | 緊張感が漂います |
神輿は再び引き返し | 勢いよく花車へ向かって |
押し寄せると花車保存会は | 再び神輿を押し返す |
花車保存会は神聖な神輿に | 手を触れてはいけません |
神輿は三度引き返し | 花車保存会へ突入 |
今度は神輿を鳥居側へ | 往なす様に方向転換させ |
3度目でようやく宮入り | 社殿へ向かって進んで行く |
花車宮入り (鳥居通過13:50、花車納車14:00)
神輿が宮入りすると直ぐに花車の宮入りが行われる。留め置きした花車の天井から花傘を降ろし、花車が鳥居のセンターに来るまで移動させ、ここで90度右側に旋回してから宮入りする。宮入りした花車は花車庫前の参道で回転し、バックで花車庫へ納められる。花車は巡行の順番に鳥居から宮入りするが、翌年の例大祭では巡行での順番が入れ替わるため、先行の花車が花車庫に向かって左側に、後続の花車は右側へと、出発時とは入れ替えて収納される。
花車が花車庫に収められると花車保存会会長の十締めが行われ、会長・総括の胴上げを行い、全ての行事が終了となる。子供達には会長からお礼と茶菓子等が配られて子供達は解散となる。なお、花傘は流鏑馬が終了して境内が閑散とした頃に、残っている会員によって花車庫に収納して扉を施錠する。
神輿が無事に宮入りすると | 今度は花車の番になります |
宮入りに向けて | 大花車と |
小花車から | 花傘を降ろし |
小花車から引き綱を伸ばして | 鳥居側へ寄せると |
引き綱は境内に入り | 前梃子と連携し |
右に90度旋回 | 花傘も後に続き |
小花車が鳥居を通過して宮入り | 止める位置を細かく調整し |
今度は後部を振って | 小花車を90度旋回 |
花車庫の扉が開けられ | バックで花車庫へ移動 |
来年の順番が入れ替わるように | 小花車は鳥居側のスペースへ |
毎年入る位置が変わります | 方向を微調整しながら |
一発で収めました | 引き綱を巻き取り車輪を固定 |
花傘は花車庫の前に立てる | 小花車が花車庫に収められると |
今度は大花車が鳥居前へ | 巡行中とは勢いが違います |
鳥居を潜って宮入り | 凹んだ窪みは平に慣らす |
ギリギリまで社殿側へ寄せる | 花傘も宮入り |
かなりの揺れですが | 太鼓は叩き続けられます |
方向転換し | バックで花車庫の社殿側へ |
物凄い迫力に | 圧倒されます |
大花車もすんなり収まり | 2基の花車が花車庫へ収まる |
花傘は持ち運ばれて | 花車庫前に |
無事に宮入りが終わると | 花車保存会会長から胴上げ |
続いて総括副会長の胴上げ | 毎年の恒例行事です |
今年活躍した会員も | 急遽胴上げされます |
総括副会長と | 会長の挨拶が行われ |
最後に会長の十締めで | 花車の巡行が幕を閉じる |
流鏑馬神事
花車が花車庫に収められると、直ぐに流鏑馬保存会は馬場へ入り、流鏑馬神事が行われる。
@馬場駈け (開始14:00)
馬場駈けは騎射に先立って騎乗者が法被姿で裸馬に乗り、二頭で馬場を一往復する行事である。
14時になると流鏑馬保存会が | 馬場に入り |
馬場元へ向かって | 立ち止まると |
一気に走り出し | 馬場尻へ |
私は実況席からの取材です | 一般の方は入る事ができません |
2頭の馬は歩いて引き返し | 馬場元に着くと |
流鏑馬をせずに | 流鏑馬保存会は歩いて移動 |
馬場を後にし | 裏手からお宮へ戻る |
A流鏑馬開始の式 (開始14:40)
馬場駈けを終えた流鏑馬保存会は一旦お宮へ戻り、騎乗者が社殿内で正装に着替えて再び騎乗すると、社殿前で宮司によるお祓いを受ける。
社殿の東側を通り | 騎手は馬を降りて社殿横から |
長持を台にして社殿内へ | 地面に足を着いてはいけません |
こちらは神輿行列の道具 | 馬は宿舎裏へ移動 |
馬に水をやり | 鞍を取り付ける |
馬銜(轡)を装着し | 手綱を接続します |
装飾が整うと | 宿舎を離れ |
社殿横へ向かうと | 正装に着替えた騎手は |
長持を使って地面に足を | 着けない様に馬に跨り |
再び宿舎裏に移動すると | 最後の調整 |
少し慌ただしくなってきました | 馬が宿舎裏を出ると |
馬場へは向かわずに | 社殿前に来ました |
流鏑馬保存会は整列し | 神事が始まります |
馬場に向かう前に | お祓いを受ける |
修祓が終わると | 社殿前を出発し |
馬を先頭に | 宮司 |
旗と纏 | 長持 |
流鏑馬の的が続き | 境内裏手からお宮を出発 |
鬼道會神輿宮入り (到着14:50)
鬼道會は室生神社の例大祭に合わせて神輿渡御を実施しており、山北町健康福祉センター(さくらの湯)から室生神社まで約2時間に渡って、友好団体の協力のもと会の神輿を担ぎ、流鏑馬神事の合間に宮入りする。
西側から鬼道會の神輿が | 姿を現しました |
健康福祉センターを13時にお発ち | 宮神輿と花車とは別行動です |
鳥居を潜り | 社殿へ向かう |
流鏑馬神事
B馬場入りの儀 (開始14:50)
流鏑馬神事の関係者が行列を組んで馬場に入場する。
宮司と神職が馬場へ入る | 放送席から解説が入る |
馬場の北側は | 多くの観客で埋まります |
社殿前で揉む鬼道會神輿 | 馬場を清めながら馬場尻で |
引き返すと幟旗と纏 | 長持と馬が加わり |
鳥居を通過し馬場を東へ | 馬場元へ向かいます |
神輿は盛り上がっている様です | 流鏑馬行列は県道74号を |
左折して直ぐに右折 | かなり細い道です |
突き当りのT字路を左折 | 次のT字路を直進し |
坂を下ると | 国道246号の手前で右折し |
さらに坂道を下ると | 左折します |
C垢離取りの儀 (開始15:00)
馬場へ入場した一行は直ぐに流鏑馬に移らずに馬場元から馬場を抜け、室生神社から旧皆瀬川の岸辺にあたる字金森にある垢離取場へ移動する。垢離取場では垢離取りの儀が行われ、中央の御幣を右回りに3周してから馬の脚と口が清められる。
国道246号下を通過 | 直ぐ左手にある |
垢離取場へ入ると | 中央の御幣を中心に |
時計回りに | 3周回っていく |
非常に珍しい神事です | 3周回り終えると |
順番に垢離取場を離れ | 馬以外は外で待機 |
馬の前後の足に水を掛け | 洗い清めます |
馬の口に水を吹き掛け | 騎手も口を漱ぐ |
後方の馬も同様に | 前後の足を洗い清め |
口元に水を吹き掛けて | 騎手が口を漱ぐ |
馬のお清めが終わると | 流鏑馬の行列が出発し |
馬も垢離取場を出発 | 国道246号を潜り |
来た道を引き返していく | 室生神社の流鏑馬は |
神奈川県の無形民俗文化財に | 指定されています |
外部の見学者は殆どいません | 流鏑馬の取材は |
初めての経験です | 県道へ出て馬場へ戻っていく |
D流鏑馬開始式 (開始15:10)
垢離取りの儀を終えた一行は馬場へ戻ると、鳥居前まで移動して流鏑馬開始式が行われる。一の的を鳥居前の馬場の中央に社殿へ向けて立て、騎乗したまま一の的を左回りに3周した後に騎射し、それと同時に前方に待機していたたもう1頭(先馬)が馬場尻へ走り出し、後馬が続いて走り出して二の的、三の的を騎射する。
流鏑馬は合計5回行われるが、最初の1回目は神事として形式的に行われるもので、3回行うと先導と射手が交代して馬も乗り換える。ここでも騎乗者は地面に足を付けることが禁じられており、長持を足場にして馬を乗り換える。流鏑馬神事は拝殿前の終了報告をもって終了となる。
垢離取場から戻って来ました | 馬場には鳥居前に一の的 |
中央に二の的 | 馬場尻付近に三の的 |
流鏑馬行列は鳥居へ向かう | 塩をまいて馬場を清める |
鳥居前まで来ると | 一の的を中心に |
反時計回りに | 三周すると |
馬以外は | 南側に整列し |
一の的を射ると | 一気に走り出します |
最初は的を手で持ちます | 観客が多いです |
馬以外は馬場元へ移動 | 馬は馬場尻に着くと |
歩いて | 引き返す |
馬が馬場元に到着すると | 旗を振って合図を出し |
2走目が始まる | 2走目以降は的を手で持たず |
地面に固定します | 的に矢が当たったかどうかは |
実況席から音のみで判断します | 歩いて馬場元へ戻ると |
流鏑馬は3走目 | 馬場尻から引き返すと |
ここで騎手が入れ替わりますが | 地面に足を着かない様に |
長持を台にして馬を乗り替える | 先導役と射手役が |
入れ替わると | 流鏑馬は4走目に |
二頭立てで滑走するのは | 非常に珍しいです |
馬場元に戻ると最後の5走目 | 川村城主河村義秀が流鏑馬の |
妙技により旧領に復帰できたと | いう故事に基づく祭事です |
流鏑馬を終えると | 再び行列を組んで |
馬場元を出発 | しっかり矢が刺さっています |
鳥居前を通過し | 右手の通路から退場 |
通る道は昨日と同じです | 子供達がお出迎え |
結構深く刺さっています | 境内裏から宮入りし |
社殿横を通って | 拝殿前に到着 |
騎手は馬を降りて社殿内へ | もう地面を踏んでもOKです |
馬は宿舎裏に移動 | 的から弓が抜かれました |
馬は直ぐに社殿前に戻り | 騎手を乗せると |
山北町長や花車保存会会長 | 等も一緒に記念撮影 |
騎手は馬を降りて社殿内へ | 時刻は16時になりました |
こちらは自治会のようです | 連合自治会長が挨拶 |
防犯指導隊の皆さんです | 馬から鞍や装飾を外すと |
宿舎裏を出て | 社務所へ移動 |
半纏有難う御座いました | 昨日と同様に馬の体を洗い |
馬は戻っていきます | 宿舎は解体され |
馬はトラックへ乗せられる | 今度は組む所を見たいです |
社殿周りを片付け | 17時頃には人気も無くなり |
的屋も店仕舞いです | 明日は後片付けがあります |
翌日の11月4日(月)の午前8時からは関係者が集合して後片付けが行われ、神輿をはじめ幟や流鏑馬の的類、注連縄類等を片付け、花車と花傘も片づけられる。
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