プロフィールprofile

太鼓の伝承

 私が最初に太鼓を叩いたのは1982年(昭和57年)の小学1年生の時で、地元の伊勢原市笠窪の太鼓連の練習がきっかけであった。幸いなことに、笠窪には大津房三氏をはじめ、太鼓の技量が高い叩き手がいたため、笠窪の太鼓が今の私の礎となっていることは疑いのないことである。また、笠窪は隣の善波および坪ノ内と付き合いがあり、さらに比々多地区では三之宮の比々多神社で開催される慰霊祭(正祭)をきっかけとして、比々多地区全体へと交流が広まって行き、それに伴って太鼓の技量も上がっていった。
 大学生になると太鼓に関しての活動範囲が一気に広がり、伊勢原市だけでなく、平塚市、二宮町、厚木市などで交流を広めていった。それまで地元の笠窪では屋台・きざみ・宮昇殿の3曲しか知らなかったが、これ以外の曲が存在することを初めて知り、新しい曲や叩き方を習得する機会が増えて行った。また、1997年(平成9年)の『青少年協会太鼓部』と1999年(平成11年)の『ばかっぱやし会』の加入により、太鼓の練習時間が大幅に増加し、技術向上の大きなきっかけとなった。
 太鼓の指導者としての大きな転機は転居先の伊勢原市白根において、2008年(平成20年)から白根太鼓連の立ち上げ指導に携わったことであった。それまでは太鼓の指導をしたことはあったが、全くのゼロの状態から新しく太鼓連を立ち上げた経験はなかった。地元の伊勢原市笠窪に戻るまでの約7年間に渡る指導を通じて、指導者として多くのことを学ぶことが出来たことに関して、白根地区の皆様には大変感謝している。
 2008年(平成20年)以降は立ち上げた『相模国神社祭礼』のサイトの為の取材により更に活動範囲は増え、文献調査とも相まって囃子の知識と技量は増えて行ったが、2020年(令和2年)に発生したコロナウィルスの影響で、祭礼行事が中止に追い込まれたことは想像もしていなく、非常にショックを受けた。しかしながら、この祭礼行事の中止をきっかけに、同年の8月から太鼓好きの有志を集めて練習会を開催するようになり、私自身の太鼓の技量を劇的に上げることに繋がった。
 2024年(令和6年)になると例年通りの祭礼行事を行う地区が増え、祭礼の取材もスタートさせたが、有志による囃子の練習会は継続しており、今後も常に技術の向上に力を入れて行きたい。

屋台
譜面

笛の伝承

 もともと地元の伊勢原市笠窪近隣には笛はなく、1997年(平成9年)に清水太鼓店の紹介で二宮町中里の森泉長次氏(2001年歿)を紹介して頂き、中里で演奏されている屋台・きざみ・宮昇殿・治昇殿・神田丸・四丁目・仁馬の笛を約1年掛けて習得した。もともとフルートを吹いていたため、音出しは問題なく、指使いを覚えるだけであったため短期間で習得できた。中里には唄い言葉と指孔の番号が入り混じって書かれた笛の譜面があったが、その譜面だけでは全ての指使いが分からなかったため、見ただけで吹けるように指孔の番号のみの譜面を自作した。譜面として完成させた曲は屋台・宮昇殿だけであったが、この2曲が吹けるようになると他の曲は聞いただけで音が探れるようになったため、笛の習得を短期間で成し得ることができた。
 翌年の1998年(平成10年)以降は平塚市の豊田と中原に笛を教えたが、同年に『相模囃子』というCDを平塚市大神の『清水太鼓店』にて販売し、この中にはメトロームによる一定のテンポに合わせて吹いた屋台と宮昇殿の笛のみの音源を入れ、さらに、双方の笛の譜面も同封した。また、1999年(平成11年)には厚木市妻田の反田にも笛を伝承した。私は2000年(平成12年)から2006年(平成18)の約6年間、地元を離れたが、このCDの効果も相まって私が指導することなく平塚市を中心に笛が広まって行ったと推測される。また、2008年(平成20年)に始めた『相模国神社祭礼』のサイトでも屋台の笛の音源と譜面を載せたことにより、更に笛が普及していったと考えられる。

屋台
譜面

 平塚市には四之宮の前鳥神社に平塚市の無形文化財である『前鳥囃子』があり、全曲において笛は伝承されているが、外部への伝承は公に行っていないため、伝承は八幡などの一部の地域に限られていた。それまで衰退していた笛への関心が、私の伝承をきっかけに、急速な広がりに繋がったと考えられる。これらの事実は祭礼の取材を通じで徐々に分かって来たことであり、祭り囃子の活性化に貢献できたことは非常に喜ばしいことである。
 平塚市入野には『間物』という組曲があるが、かつて吹かれていた笛の譜面や音源は残っていなかったため、2020年(令和2年)に間物の全曲に笛を編曲・作曲した。入野の囃子は二宮町中里の囃子と同じ『大山囃子』であるため、私の笛が入野の太鼓に違和感なく受け入れたと感じている。間物は入野にしか伝わっていない貴重な囃子で、この囃子の伝承を強化すべく、全ての曲において太鼓の譜面を作成し、2022年(令和4年)から平塚市博物館の『祭りばやし研究会』にて間物の指導を開始した。今後も、このような祭り囃子の伝承を強化する取り組みを行っていきたい。

年表
西暦
(年)
和暦
(年)
年齢出来事
1975昭和5006月9日に神奈川県伊勢原市笠窪に生まれる
1982昭和577
(小1)
伊勢原市立比々多小学校に入学
地元の笠窪太鼓連で太鼓を始める
1988昭和6313
(中1)
伊勢原市立山王中学校に入学
伊勢原市立山王中学校の吹奏楽部でフルートを始める ※1988年〜1990年
1991平成316神奈川県立伊志田高等学校に入学
1992平成417伊勢原市坪ノ内の例大祭で太鼓が復活 ※笠窪太鼓連として参加
1993平成518伊勢原市三ノ宮 比々多神社慰霊祭(正祭) 鎮魂奉納太鼓がスタート ※笠窪太鼓連として参加
1994平成619
(大1)
法政大学(工学部システム制御工学科)に入学 ※4年後に法政大学大学院(工学研究科システム工学専攻修士課程)へ進学
法政大学の応援団吹奏楽部でフルートを吹く ※所属は1年間のみで、在学中は趣味で演奏を続ける
1996平成821
(大3)
伊勢原市田中の石井二郎(歿)から田中の自聖殿・四丁目・人馬・キザミ・乱拍子を習う
伊勢原市片町の片町太鼓保存会の活動に参加 ※1996年7月〜
1997平成922
(大4)
二宮中里の森泉長次(2001年没)から笛(屋台・きざみ・宮昇殿・治昇殿・神田丸・四丁目・仁羽)を習う ※1997年8月〜1998年5月
秦野市落幡の芦川伸一から色物(ジショウデン・シチョウメ・ニンバ・チョウショトンボ・キザミ)を習う ※秦野たばこ祭りのお囃子大会優勝者
青少年協会太鼓部の立ち上げ指導 ※1997年9月〜
1998平成1023
(院1)
CD"相模囃子"を発売、録音・編集・製作:添田岳也、演奏協力:杉本守、販売協力:清水太鼓店
平塚市豊田中原で笛を教える※1998〜1999年
伊勢原市笠窪の大津敏夫(歿)から踊り(おかめ・ひょっとこ)を習う
1999平成1124
(院2)
厚木市妻田の反田太鼓連に太鼓(屋台・きざみ・宮昇殿)と笛(屋台・宮昇殿)を教える ※1999年1月〜2000年3月?
太鼓同好会『ばかっぱやし会』の初代会員として入会 ※1999年1月〜
2000平成1225就職により愛知県春日井市に移転、地元笠窪の祭りと慰霊祭程度の参加 ※2000年4月〜2005年3月
2005平成1730伊勢原市笠窪に移転、ニュージーランドに語学留学 ※2005年4月〜2006年3月
2006平成1831伊勢原市田中に転居 ※2006年12月〜
2007平成1932伊勢原市白根に転居 ※2007年8月〜
2008平成20332008年3月10日にウェブサイト『神奈川県伊勢原市祭囃子』を立ち上げ、2011年9月25日に現名称の『相模国神社祭礼』に変更
2008平成2033伊勢原市白根の白根太鼓連の立ち上げ指導 『白根地区への祭り囃子の伝承について』 ※2008年〜2014年
『笠窪祭囃子保存会』を結成 ※2008年10月18日
2009平成2134『第2回ひらつか囃子太鼓フェスティバル』に笠窪祭囃子保存会として参加 ※3月14日
2010平成2235『第3回ひらつか囃子太鼓フェスティバル』に笠窪祭囃子保存会として参加 ※3月27日
2014平成2639伊勢原市笠窪に転居 ※2014年12月〜
2015平成2740厚木市妻田の反田太鼓連に笛を教える ※2015年2月〜11月
2016平成2841平塚市片岡の片岡神社太鼓保存会に笛を教える
2018平成3043厚木市荻野の宮郷太鼓保存会(宮郷太鼓連)に笛を教える ※1月21日
2020令和245コロナウイルスの影響で祭礼が行われなくなり、30年振りにフルートを再開 ※祭礼の取材は2020年〜2023年の4年間中断
平塚市片岡の渋谷ばら園にて有志による囃子の練習会開始 ※2020年8月〜
『第44回ひらつか民俗芸能まつり』に入野太鼓保存会の笛担当として参加、初めて間物の全曲に笛を編曲・作曲 ※11月15日
2022令和447平塚市博物館の『祭りばやし研究会』で平塚市入野の”間物”の指導を開始 ※2022年9月〜
2024令和649横須賀市浦賀の芝生の囃子の全曲に笛を編曲 ※9月7日
鉦を独学で習得 ※11月

 ※年は若干のズレを含む可能性あり



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